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「還暦を迎える精神疾患の息子を置いて…」5月の母の恨多き40年

登録:2020-05-16 09:37 修正:2020-05-16 12:22
[5・18 40周年企画]  
5つの話-(3)忘却 
生涯息子の世話をしてきたPさんの40年間の恨(ハン) 
出勤した夫も軍人たちに無差別に殴られ 
精神疾患生存者65名…死者61人にのぼり 
戒厳軍に殴られたり性的暴行を受けたショックが原因
1980年の5・18当時、戒厳軍が鎮圧棒で罪のない市民を殴打している=5・18記念財団提供//ハンギョレ新聞社

 「アイゴ、40年たって何を話せというんですか。息子の看病ばかりして暮らしていますよ」

 4日、Pさん(89・光州市北区角化洞(プック・カクファドン))は近況を聞くとため息をついた。「5・18と聞くと嫌気が差す。元気だった夫は死んでしまった。子どもは殴られておかしくなってしまった。家もなくなった」

 長男のAさん(57、光州市北区)は勉強ができた。4人の娘の後に生まれた息子だったので、格別に大事に育てた。1980年5月21日、朝鮮大学付属高校2年生だったAさんは、修学旅行から帰ってきて驚いた。K旅客管理部長を務めていた父親が、軍人に殴られて倒れたという電話連絡を受けたのだ。Aさんは急いで父親の勤務地へ向かって走っていた途中、全南大学正門前で空輸部隊員に捕まった。銃の台尻で頭を殴られて倒れた後、目を覚ますと他人の家にいた。その後、時々うわごとを口にしていたAさんは、次第に症状が悪化した。同年8月31日、精神分裂の診断を受けて学校を休学した。「ふんばって病院に行かないという息子を、警察を呼んで入院させた。そうやって生きてきた」

戒厳軍の人間狩りが始まった。1980年5月18日当時、戒厳軍が市民を逮捕し、真昼間に下着だけを着せて連行している=5・18記念財団提供//ハンギョレ新聞社

 Pさんの夫(1928年生まれ)も生涯5・18の後遺症を患っていた。5月21日午後1時頃、K旅客車庫に空輸部隊の大尉1人と軍人が乱入した。軍人らは2階の事務室に入ってきて、夫と同僚6人をこん棒と小銃の台尻で無差別に殴打した。気を失った夫は病院に運ばれて治療を受けたが、生涯苦痛に苦しんだ。2008年に死亡する前の5年間は、“植物人間”のように生きた。もはや長男の面倒を見るのは全てPさんの役目になった。幸い、まだ息子は母親だけは見分けられる。「2年後には息子が還暦を迎えるんです。一番の心配は、息子を置いて私が先に逝ってしまうこと、それだけです」

 精神疾患を患う5・18の生存者は、一人で苦しみに耐えなければならないことも多い。Kさん(1958年生まれ)は1980年5月20日早朝、前日に姉の家に泊まって家に帰る途中、武装した空輸部隊員に捕まり、脅迫を受け釈放された後、異常症状を見せた。1982年7月、精神病院に初めて入院した後、療養所などを転々としたKさんは、自宅にしばらく滞在していた1986年、些細な問題で口論の末に、父親にラジオを投げつけて死亡させた。

5・18当時空輸部隊に殴られ精神分裂症を患う息子を持つ老母は、ため息をついて写真取材を断った。その母親のように40年の涙の歳月を生きてきた遺族の母親たちの写真を載せる。2018年5月18日、光州国立5・18民主墓地の記念式典での遺族たち=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 Kさんは20年間国立羅州病院で治療を受けている。彼女の兄と義理の妹も悲運の事故で死んだ後、唯一の頼り所だった母親もこの世を去った。

 5・18遺族会の集計によると、5・18関連の精神疾患の生存者は65人、死者は61人。戒厳軍に殴られたり性的暴行を受け、精神的なショックを受けた人たちだ。5・18遺族会のチョン・スマン元会長は「精神疾患を患う生存者やその家族にとって、5・18はいまも現在進行形だ。面倒を見る家族がいない5・18精神疾患生存者の対策が必要だ」と話した。

5・18精神疾患生存者のうち相当数は自殺を選ぶ。5・18有功者のキム・ヨンホさん(当時25歳)は、1987年5月27日、走る列車に飛び込んで命を絶った。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/944548.html韓国語原文入力:2020-05-12 11:52
訳C.M

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