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戒厳軍、5・18道庁鎮圧当時、武装ヘリの投入を事前に計画

登録:2020-04-27 06:21 修正:2020-04-28 17:49
戒厳司令部の「戦教司忠正作戦計画」文書 
1980年5月27日の最終鎮圧作戦の際 
光州・全羅南道に武装ヘリコプター5機の投入を計画 
全斗煥氏ら新軍部はヘリコプターからの射撃を否定 
関連裁判の結果への影響に注目集まる
1980年5月27日、光州鎮圧作戦に武装ヘリコプターを編成したという内容(赤い四角)が書かれた「戦教司忠正作戦計画」//ハンギョレ新聞社

 5・18光州(クァンジュ)民主化運動当時、戒厳軍が1980年5月21日だけでなく、27日の旧全南道庁の鎮圧作戦にも武装ヘリコプターの使用を計画していたことが明らかになった。これまで戒厳軍がヘリコプター射撃を指示したという供述と記録はあったが、27日の道庁鎮圧作戦を控え、武装ヘリコプターの編成を事前に計画した文書が確認されたのは初めて。5・18当時、武装ヘリコプターの使用を否定してきた全斗煥(チョン・ドゥファン)氏の発言を排斥する資料が再び発見され、関連裁判に及ぼす影響も注目される。

 ハンギョレが26日に入手した「戦教司(戦闘兵科教育司令部)忠正作戦計画」によると、戒厳司令部は1980年5月27日に光州一帯を武力で鎮圧する光州再進入作戦(忠正作戦)に500MD武装ヘリコプター5機を編成した。「戦教司忠正作戦計画」には鎮圧部隊の運用や作戦の詳細方針などが書かれている。

 忠正作戦計画の「任務および戦闘編成」の項目には、500MDを第20師団に2機(武装1機)、第31師団に3機(2機)、第35師団に1機、第3空輸旅団に2機(1機)、第11空輸旅団に2機(1機)割り当てたと記されている。文書の作成者は「500MD:2機(武装1機)」と記載することで、一般ヘリコプターと武装ヘリコプターを明確に区分した。500MDは、5・18当時、陸軍第1航空旅団31航空団が運営したヘリコプターの一種で、機関銃やロケット、TOWミサイルなどを装着する攻撃型ヘリコプターだ。

 全斗煥元大統領ら当時の新軍部は、1997年の検察の調査や2018年の国防部調査などで、5・18当時、光州に武装した500MDを投入した事実は認めたものの、偵察や指揮の用途で運営しただけで、射撃はしなかったと否定してきた。

500MDヘリコプター=国防部ホームページよりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 しかし、今回の文書を通じて当時の攻撃用ヘリコプターと偵察・指揮用ヘリコプターを区別して活用していた事実が明らかになった。5・18研究者たちは、特殊攻撃チームが作戦に失敗したり、市民軍の強い抵抗にあう場合に備え、武装ヘリコプターを編成したものと見ている。実際、「戦教司作戦日誌」には1980年5月27日午前4時51分、第3空輸旅団が武装ヘリコプターの支援を要請したと記録されている。全南大学5・18研究所のキム・ヒソン研究教授は「500MDを区分して編成したのは、1機は指揮用、残りは攻撃用に使うためとみられる。鎮圧作戦が迫る中、作戦に対する責任と役割を明確にしなければならず、実際に運用するために正確に書いたと思われる」と分析した。

 全日ビルに残っている銃弾の跡がこの過程でできたという意見もある。チョン・スマン元5・18遺族会長は「武装ヘリコプターが出動したのに、射撃をしなかったというのは話にならない。27日未明、第3空輸旅団が武装ヘリコプターの支援を要請しただけに、全日ビルの銃弾の跡も500MDからの射撃によるものである可能性が高い」と主張した。

 一方、5・18同時、ヘリコプターから射撃が行われたかどうかが争点となる全斗煥元大統領の死者名誉毀損事件の裁判は、27日に光州地裁で開かれる予定だ。全元大統領はヘリコプターからの射撃があったと証言した故チョビオ神父について、自身の回顧録で「破廉恥な嘘つき」と非難した疑いで裁判にかけられた。ヘリコプター射撃を立証する資料が相次いで発見され、裁判の結果が注目される。

キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/942114.html韓国語原文入力:020-04-2704:59
訳H.J

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