20日、済州(チェジュ)のある多文化図書館にイエメンから来た5人兄妹が集まった。長女の20歳のライラ(仮名)をはじめ、利口で察しのいいカリム(仮名・9)、転んで左腕にギブスをしたマリアム(仮名・7)、車に乗るたびに助手席に座りたがるウマル(仮名・6)、休まず動き回るファティマ(仮名・4)まで、5人兄妹は10日前から、父のムハマドさん(仮名・37)と共に済州のあるマンションに滞在している。彼らは1日に1回多文化図書館を訪れ、2時間ほどお絵かきと韓国語を教わっている。イエメン人の子どもらを支援しているアートセラピストのチョン・ウネさん(47)と多文化図書館の先生たちが意気投合して作った小さな“臨時学校”で行われている授業だ。イエメン人の難民申請者に対する誤解と疑念にもかかわらず、済州島では“共存”に向けた自発的な実験と努力が続いている。
5人兄妹が集まったテーブルの上には、大きな画用紙が置かれていた。色とりどりのクレヨンで子どもたちが図画用紙の上に絵を描くと、アートセラピストのチョンさんが子どもたちの絵をもとに、子どもたちの心理を読み取る。子どもたちは無邪気な笑顔で、思い思いの線と形を描いていった。ところが、マリアムの絵は少し変わっていた。マリアムは青色の枠の四角の中に赤い縦線を引き、その中にアラビア語を書いた。何を描いたかと訊くと、英語が少し話せるカリムが代わりに答えてくれた。「prison(刑務所)!」。七歳のマリアムが画用紙の上に初めて描いた絵は刑務所だった。刑務所を描いた理由を訊くと、マリアムは笑っているだけで、なにも答えなかった。チョンさんは「これまでアートセラピーを行ってきたが、この年齢の子どもが刑務所を描くことは極めてまれなこと」だと話した。
イエメンで自動車エンジニアだったムハンマドさんは2015年、妻を銃撃で失った後、戦争の砲火から逃れようと、子どもたちと共にサウジアラビアやマレーシアを経て、今月5月に済州島にきた。チョンさんはムハンマドさん家族に文字通り「後先考えず」会ったと言う。「アートセラピストとして子どもに関心を持っていますが、済州島に来たイエメン人の中に子どもたちもいるという話を聞きました。それで彼らを探し、後先考えずその宿泊先を訪ねました」。宿泊先に到着し、グーグル翻訳機で翻訳した「私はアートセラピストです。子どもたちを助けたいです」というアラビア語文章を見せると、イエメン人が集まってきて、チョンさんをある小さな部屋に案内した。チョンさんはムハンマドさんと5人兄妹にその時初めて会った。「きょとんとしていた子どもたちが、私が取り出した画用紙とクレパスを見て小さく歓声を上げた瞬間を、一生忘れないと思います」
チョンさんは「深く考えず始めたことが、こんなに大事になるとは思わなかった」と話した。済州島で語学学校の講師などで働く外国人コミュニティが、親身になってムハンマドさん家族が滞在する家を探し、引越しも手伝ってくれた。ムハンマドさん家族らを受け入れた済州住民たちも、チョンさんとは面識がない“知人の知人”だった。チョンさんと知人が行う授業も「子どもたちが規則的に外部と接触できるようにしよう」という単純な考えから始まった。チョンさんは「ムハンマドさん家族を支援しているのは、偶然と好意が集まって瞬く間に作られた『組織されていない個々の点』」だと語った。イエメン人たちの後ろには「難民ブローカー」がいるという一部の主張について、チョンさんが残念に思っているのもそのためだ。
お絵かき教室が終わってからは、多文化図書館を運営するイさんが子どもたちに韓国語を教えた。「イル、イ、サム、サ、オ、ユク、チル、パル、ク!」(一二三四五六七八九)。1週間以上韓国語を学んでいる子どもたちは韓国語の数字を読み上げた。子どもたちは数字が書かれたカードを並べ、先生が韓国語の数字をいうとカードを選ぶゲームをやっていた。彼らは「サム」と「ユク」を、「オ」と「チル」を混同したりもしたが、それでも自信満々に韓国語の数字を言いながら、カードを選び出した。韓国に滞在して1カ月ほどで、子どもたちは片言ながらも、少しずつ韓国語の数字と「チョアヨ(いいです)」、「スルポヨ(悲しいです)」などの単語を覚え始めた。
しかし、善意と好意で始まったことは、思いがけない反応を生んだ。今のように(難民受け入れへの)反対世論が高まる前に「戦争から逃れようと来たイエメン人たちがいる」と聞いて、気軽に家族を迎えたNさんは最近、周辺から憂慮の声を聞いているという。生まれたばかりの子どもを育児中の30代の「ワーキングママ」のNさんは「周りのお母さんたちが心配しているようです。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)とママカフェ(オンラインコミュニティ)にイエメン難民に対する恐怖を煽る書き込みが載ったりもします。私がイエメン家族と一緒に生活しているのを知らない知人が、私にイエメン人難民受け入れに反対する署名を送ったこともありました」と話した。Nさんは「不安に思う気持ちも分からなくはない。私もそうだった」としながらも、しかし「子どもたちを一緒にお風呂に入れて、一緒にご飯を食べるうちに、結局みんな同じ人間なんだなと思いました。彼らは戦争から逃れようとここに来ただけなんです」と力強く語った。
ムハンマドさんは済州島にもう少し滞在するため、仕事を探している。英語と韓国語がほとんどできないムハンマドさん家族が身につけた韓国語は「カムサハムニダ(ありがとうございます)」だった。チョンさんは「ムハンマドさん家族が些細なことにも恐縮して、ありがとうと言うので、むしろ申し訳なくなるほど」だという。最初に来た時には心配になるほど委縮していた子どもたちが、今は少しずつ慣れ始め「子どもらしく」なった。チョンさんは最近、ためらうことなく「正しいと信じること」を行動に移した平凡な人々の勇気が非難されることを残念に思っていた。「火事が起きた建物の中で子どもが泣いていたら、まず助けるものでしょう?私と知人たちはみんなそのような気持ちでやっているだけです」