検察過去事委員会が2日、再調査対象に選定した「タレントの故チャン・ジャヨンさん性接待疑惑」事件は、権力関係と強要にともなう“性接待”という核心疑惑には手も触れず、周辺だけを騒がしくさせた代表的捜査事例に挙げられる。
この事件は、2009年3月7日にチャンさんが自ら命を絶った後、6日後に4ページの自筆文書が公開されて火が点いた。マネジャーに送った遺書には「(所属会社のキム・ジョンスン代表が)部屋に閉じ込めておいて、手やペットボトルで頭を数えきれない程殴った」「朝鮮日報のパン社長のルームサロン接待に私を呼んで、性関係を要求するようにした」など、メガトン級の暴露が含まれていた。文書の末尾に自身の住民番号を書き、拇印を捺して文書の真実性を証明しようとした。死因を「うつ病」だと結論を出した警察は、大規模捜査人材を投じて捜査に突入した。
だが、約40日後に警察は、核心当事者で当時日本に滞在中だったキム・ジョンスン代表に対する調査もせずに、チャンさんが文書で言及した人物を全員容疑なしで処分し、急いで事件を終えた。一部の人物に対しては一日前に訪問調査を行い、否認供述を聞くに終わるなど、“手抜き捜査”という批判が激しかった。
特に2009年の捜査記録によれば、警察と検察が、朝鮮日報社主の息子であるパン氏が2008年10月28日にチャンさんとある風俗店で同席していたという事実を詳しく調査した事実も出てくる。検察・警察がこれを意図的に隠したのではないかという疑惑が提起されざるをえない状況だった。しかもその日はチャンさんの母親の命日で、当時チャンさんの運転手は「(所属会社代表の)強要で法事にも参加できずに酒接待の席に呼ばれて行き、あまりに佗びしくて車内で泣いていた事実がある」と述べもした。
キム代表がチャンさんの口封じをしたと見られる携帯メールも確保された。事件記録によれば、警察はキム代表に「2008年10月29日午前1時22分頃、被疑者がチャン・ジャヨンに『職員の前で変なことを言うな』という携帯メールを送っていた事実が確認されるが、どういう意味ですか」「パン氏などを相手にした酒接待の席に関する秘密を守ってほしいという意味で発送したのではないですか」と尋ねている。
だが検察は、パン氏に対する追加の調査はせず、2009年8月19日の捜査結果発表では“接待疑惑の5人”のうち唯一パン氏にだけは言及すらしなかった。当時検察は「被害者チャン・ジャヨンが作成した文書に『酒接待強要』という字句があるが、それが何を意味するかは明確でない」として、性売買疑惑の被疑者を全員不起訴処分にした。検察がこの事件と関連して唯一認めた疑惑は、キム代表の暴行のみだった。
警察と検察の捜査結果が正しいならば、チャンさんが嘘をついたことになるが、世論は依然として「チャンさんが自ら命を絶っているのに、嘘をついただろうか」と問うている。チャンさんも亡くなる前に手紙に「私は酒場のホステスのような仕事をして、数えきれない程に酒接待と性関係を強要されなければなりませんでした。この苦痛から抜け出したい」と書いた。
これと関連して検察高位関係者は「当時の捜査結果を覆すのは容易でないだろう」としつつも、「ただし、世の中が変わったので、新たな証拠が出てくるかもしれない」と話した。