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[ニュースpickup]大学路(テハンノ)遺骨14体…京城医専 解剖学教室跡?

原文入力:2009-01-02午後03:02:22

ソン・ギョンファ記者

←身元が分からない白骨状態の遺骨14体が一度に発見されたソウル,蓮建洞(ヨンゴンドン),韓国国際協力団建物撤去現場 ニューシス

去る11月28日ソウル,鍾路区,蓮建洞,韓国国際協力団建物撤去現場から身元不明の遺骨が一度に発見されたニュースは多くの人々を驚かせるのに充分でした。子供3体と成人11体の計14体にもなり、幼い子供の頭蓋骨の一つからは鋭利な道具で切断した痕まで出てきました。遺骨が発見された地下5メートルの地下空間にはインク瓶と動物の骨もありました。ソウル都心の真中で発見されたこの白骨は果たして誰か、いったいどのように捜査が進行しているのでしょうか?

子供頭蓋骨に鋭利な切断痕
他殺疑惑出てきても控訴時効過ぎた可能性

■韓国戦争被害者? 根拠不充分
遺骨を先に調査した機関は国防部でした。朝鮮戦争当時の戦死者の可能性があるためです。ひとまず国防部は軍人ではないと結論を出しました。国防部遺体発掘鑑識団関係者は「国軍であることを示す根拠が全くなく身体的特徴が女性と思われ、警察に引き渡した」と説明しました。

民間人である可能性が高くなる中で、この疑問の白骨がいったい誰なのか色々な可能性が提起されています。まず朝鮮戦争当時、民間人が防空壕に隠れていて爆撃などで集団的に亡くなったのではないかとの推測が出てきました。しかし子供の頭蓋骨の切断痕のためにこの推測は力を得ることができませんでした。虐殺された後に捨てられたという推測も出てきました。だがやはり銃弾などこれを後押しする証拠が全く出てこず不確かです。

■解剖用死体? 医大解剖室と近接距離
現在出てきた有力な推測は医科大学で解剖学実習をした後に捨てた死骸であるという意見です。子供の頭蓋骨の切断痕が解剖する時の切断痕と似ていて、遺骨が出てきた場所がソウル大医大の前身である旧京城医学専門学校(京城医専)だった場所であるためです。ソウル大建築史研究室チュ・サンフン研究員は「1920年代の各種地図を総合してみると、遺骨が発見された場所は空地であり、韓国国際協力団本館の位置には教授実験室が、第1別館の位置には病理解剖室および付属室があり、本館上側建物に解剖学教室があった」とし「遺骨が発見されたところは当時京城医専解剖学教室から60メートルの位置で病理解剖室とは40メートル離れたところ」と説明しました。 遺骨が光復以前のものだと明らかになれば、日帝時代に京城医専で解剖実習した後に捨てられたものである可能性が高いという話です。警察はまだ解剖と関連する証拠が出てきていないことから‘解剖用死体説’に対して非常に慎重な状況です。

■捜査はどのようにするか?
この遺骨の正体を把握しようとするなら、時期を明らかにすることが優先であるとして警察は収拾した遺骨を国立科学捜査研究所(国科捜)に渡しました。国科捜イ・ヤンハン遺伝子研究室長は「骨からDNAを抜き取るのでかなりの時間がかかる」としながら「遺骨が外部環境に露出していたのでDNA損傷が激しくDNA量も少なく抜き取るのが非常に難しい」と説明しました。

また苦労してDNAを抜き取っても問題解決は難しいといいます。DNAだけでは時期を明らかにしにくく遺骨DNAと比較する遺族のDNAサンプルがあってこそ身元を明らかにすることができます。実際、国防部が2000年遺体発掘鑑識団を設け昨年までに探した2855体の遺骨中で他の根拠なしにDNA抽出だけで身元を明らかにできた事例はただの1件に過ぎません。‘私の家族を探してくれ’としてDNAサンプルを託した遺族が少数に過ぎないためでしょう。大学路遺骨も同様に警察が確保しているサンプルと一致するものがなければ効果がないことになります。そこで国科捜は法人類学,遺伝学専門家などを集め遺族のDNAなしに時代を推定する根拠を探してみることとしました。

■犯罪犠牲者と明らかになれば?
時代が明らかになっても他殺の嫌疑がなければ警察捜査は終わることになります。だが他殺の嫌疑が仮に出てきたとしても捜査はそれ以上進行されないものとみられます。警察関係者は「遺骨状態から見て控訴時効が過ぎていない可能性は希薄に見える」としながら「ひょっとして分からない可能性のために国科捜に依頼したが、控訴時効が過ぎていれば捜査価値はない」と明らかにしました。

それでは遺骨はどのように処理されるのでしょうか? 身元が明らかになれば遺族に引き渡すが、そうでなければソウル市が無縁故死体として火葬処理することになります。ただし、まだ大学路遺骨は‘無縁故死体’なのか‘無縁故墳墓’なのかが決まって居ません。死骸が土で満たされた状態ならば無縁故墳墓、土がなく空間上にあったとすれば無縁故死体と見なされます。大学路遺骨は誰かが作った地下空間で発見されましたが、遺骨の上に余裕空間がありました。墳墓でも死体でも処理は全く同じだが正確な解釈はやはりこれらが果たしてどの時期どのようにして亡くなったのかの結論が出た後に下される予定です。

ソン・ギョンファ記者 freehwa@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/newspickup_section/330842.html

原文: 訳J.S