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盗品として返還、略奪品として保存…“高麗仏像”運命の岐路に

登録:2015-08-03 23:37 修正:2015-08-04 07:17
 日本に返した銅造如来立像とは異なり
 観世音座像は関連記録が残っており
 裁判所、来年2月まで返還猶予決定
 流出有無判断には陣痛が伴う見込み
高麗末期の14世紀、忠清南道瑞山の浮石寺に安置された銅造観世音菩薩座像。その後、不明な経路で日本に流れて行き対馬の観音寺に所蔵されていたが、2012年に韓国人窃盗犯が盗み韓国内に持ち込んだところ押収された=資料写真//ハンギョレ新聞社

 温和な微笑をたたえ日本から約400年ぶりに再び韓国に渡ってきた高麗観世音仏像が運命の岐路に立った。 髪を結ったこの優雅な仏像を盗品として返すべきか。あるいは略奪品として公認し韓国内に保存すべきだろうか。

 2012年10月、日本の対馬にある観音寺から韓国人窃盗犯が盗んで韓国に持ち込んだところを没収された14世紀の銅造観世音菩薩座像の返還是非に新たに注目が集まっている。 先月17日、窃盗犯が対馬の神社から一緒に盗んだ統一新羅期の銅造如来立像が韓国最高検察庁の決定により返還され、唯一残されたこの仏像の法的処理問題が再び論議の的になった。

 洗練された胴体様式で統一新羅仏像の“最高名品”とされる銅造如来立像は、返還に大きな障害はなかった。 日本への搬出経路が明らかにならず、所有権を主張する寺刹・団体もないということが決定的根拠であった。 しかし、観世音菩薩座像は状況が異なる。 1330年、忠清南道瑞山(ソサン)の海辺にある浮石寺(プソクサ)に主尊仏として奉安したという当時の僧侶・信徒の発願文が残っていて、これを基に現浮石寺側が還収運動を繰り広げたためだ。大田(テジョン)地裁は2013年2月、浮石寺側が出した返還禁止仮処分申請を受け入れ、搬出経緯に対する法的判断が出てくるまで返還を許さないという判決を下した。その後、仏像は接近が遮断されて大田国立文化財研究所に保管中だ。

 文化財庁は昨年10~12月、ムン・ミョンデ(東国大名誉教授)、チェ・ソンウン(徳成女子大教授)など美術史学者と保存科学者らによる調査委員会を設け、二つの仏像を調査した。 調査委員は直接仏像を調べ、大きさや材質、様式の特性などを検討したが、問題の流出経緯については端緒をつかめず、二つの仏像の諸元と過去の文献情報だけを検察に報告したという。

 文献記録が何もない銅造如来立像と異なり、観世音座像は関連記録が一部残っている。 1951年所蔵先である観音寺が仏像の腹蔵から捜し出した1330年の造成発願文、14世紀末の倭寇の頻繁な西海岸略奪の経緯を記した『高麗史』と日本側の記録『太平記』の内容、そして1526年の創建時に仏像を奉安したという観音寺の略史記録が伝わっている。 『高麗史』には1350年から高麗が滅亡した1392年までの40年間、倭寇の略奪が集中的に起き、ウ王の時(1374~1388)には378回も略奪があり、1352~1381年に5度にわたり倭寇が瑞山に出没したという記録が残っている。 チョン・ウンウ東亜大教授は、2013年に発表した論文「西日本地域の高麗仏像と浮石寺銅造観音菩薩座像」で、「西日本に渡っている高麗仏像は約50点になるが、伝来の経緯が腹蔵物や墨書で明らかになった事例は殆どなく、倭寇の略奪にともなう搬出の可能性が最も説得力がある」と分析した。

 ただ悩ましいのは、文献資料が心証上の根拠に過ぎず、搬出された直接証拠はなく、今後出てくる可能性も希薄という点だ。 裁判所が明示した仏像の返還猶予仮処分期間(3年)は来年2月までだ。 その間に浮石寺側が返還を要求している本案訴訟を起こせば、検察と裁判所は専門家が報告した貧弱な文献根拠に依拠して事実上還収可否を判断しなければならない。 現在の浮石寺は解放以後に寺を再建した寺刹だ。 高麗時の寺遺跡が皆無で学界の一部では高麗仏像を所蔵するほどの伝統を備えているかという疑問も提起されている。 ある中堅美術史学者は「仏像の返還に反対する国民感情と還収根拠が貧弱な現実の間で、法的判断には陣痛が伴うだろう」と見通した。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/702938.html 韓国語原文入力:2015-08-03 18:59
訳J.S(1854字)

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