子に先に死なれたことを心に刻みつけることもできない親の悲しい心境を綴る『ハンギョレ』のセウォル号惨事企画「忘れません」の連載が25日で100回を迎えた。しかし、「忘れないで欲しい」という遺族の叫びが消えずにいるのに、セウォル号は国民の記憶からどんどん薄れようとしている。ハンギョレは連載100回目を迎え、セウォル号事故で亡くなった安山市檀園高校2年生1班のハン・コウンさん(17)の母親ユン・ミョンスンさん(43)が世のすべての母親に宛てた手紙を載せる。ユンさんが娘に書いた手紙は11月17日に載せている。
コウンのようなかわいい子を持つ世のすべてのお母さんたちに。
私の家は平凡な家庭でした。母親、父親、長女コウン、弟、そして子犬のコムスン。この家族でいろんな思い出を残しながら楽しく暮らしてきました。コウンはいつも私に言いました。100年、500年経っても母さんと父さんと一緒に暮すんだと。コウンと弟を結婚させて孫ができ私たちだけで暮らして老いていければと考えたほどです。4月16日にセウォル号とともにコウンが海の中に消えてしまうまではです。
突然コウンを失い私たち家族の人生は完全に変わりました。平凡な母親だった私はこの空しい死の理由を明らかにして欲しいと街に出て署名活動をしました。通り過ぎる親たちに助けて欲しいと訴えました。たくさんの人が集る場所にでかけ人前で勇気を揮ってコウンの話をすることもありました。母親にとり子どもとは本当にすごい存在でした。一度も経験したことがないこんなことを母親にさせることができたからです。
母親の欲のために子供を急かせ
小言を繰り返したことが悔やまれ
コウンが結婚して孫に恵まれ
老いていくのだろうと思っていた…
皆さんの激励で寂しさが少し癒され
コウンを失い過去を顧みるようになりました。至らぬ母親は娘が人より良い生活を送れることを願う欲のため、ありのままのコウンを認めてこなかったのかもしれません。勉強だけしっかりやっていればいいという考えで、有名塾に通わせたり課外授業を受けさせました。私が用意した枠組みに子どもを組み入れて急かし続け、小言ばかりだったようです。そんななかでコウンを失い後になって気がつきました。それがすべて錯覚だったということを…。
愛しているとしょっちゅう言ってあげるべきでした。もっと幸せな思い出を作ってあげなければなりませんでした。母親なら、今の自分が子どもにしている言葉と行動が、母親の満足のためなのか、それとも子どものためなのか、一度じっくり考えてみたらいいと思います。私のように突然子どもを失うことになれば、その誤りは元に戻すことはできなくなってしまいます。
コウンを失い私をさらに苦しませたのは世の中の刺すような冷たい視線でした。「じっとしていれば国で処理するものを、なぜ大げさな態度をとるんだ」、「セウォル号事故のために国家経済が停滞し商売にならない」、「どれほど多くの補償金をもらおうとするつもりなんだ」…。こうした話が私の胸を抉るようでした。私たちを支持してくれた世論が背を向けるかと思うと恐ろしくなりました。無知で、役立たずで、何の力もない母親であることを改めて骨身に沁みるほど思い知らされました。
「海の中に消えた子どもたちを忘れないでください。誰にでも起きることなんです」
でも、子どもを失った私たち親を応援し励ましてくれた人たちも数多く、気持ちを強く持つことができました。何時間もかかる京畿道安山市の焼香所を訪ねてきて下さり、数多くの人たちがセウォル号特別法制定のための署名に参加しました。多くの子どもの死が無駄にならないように国を変え制度を改善しなければならないという声に力を加えてくれました。本当に涙が出るほどありがたかったです。皆さんのおかげで孤独ではありませんでした。
しかし、私たちのこうした努力にもかかわらず、結局セウォル号特別法は捜査権と起訴権が抜けた状態で成立しました。今後の真相究明は以前と変らず大変なのだと思います。安全で幸せな国を作るのために力をお貸しください。今日は他人事かも知れないけど、明日は私たちの周りや自分自身が被害者になるのだという考えで最後まで共に見守ってください。
コウンを失ってから季節が3度も変わりました。もうクリスマスです。街には子供たちの手を握った親の幸せな様子が見えます。でも私のそばにはコウンがいません。私の魂を売ってでも時間を4月16日の前に戻したいけど、再び戻ることはない時間です。今後、あんな悲劇が他の母親に起きないことだけを願っています。どうか数多くの夢と共に海の中に消えた私たちの子供たちを忘れないでください。
ユン・ミョンスン(コウンの母)
韓国語原文入力:2014.12.24 22:33