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朴槿恵と安倍が会ってもなにも解決しないという絶望

登録:2014-09-27 07:24 修正:2014-09-27 07:55
韓日慰安婦攻防の 3年
3月25日午後、オランダ ハーグの米国大使官邸で開かれた韓・米・日首脳会談で、バラク・オバマ大統領(中)の勧誘で朴槿恵(パク・クネ)大統領(右)が安倍晋三日本総理と握手している。 韓-日両首脳は来る11月に両国間首脳会談を実現する可能性が高い。 ハーグ/連合ニュース

 1951年10月に始まった韓日国交正常化交渉は、14年が過ぎた1965年6月に妥結した。 経済開発が切実に必要だった朴正煕政権は、5億ドルの経済協力資金を受け取る代価として植民地支配に対する責任追及という両国間の根本問題を取り繕ってしまった。 1991年にキム・ハクスン ハルモニ(おばあさん)の歴史的証言で慰安婦問題が提起され、それからすでに23年が過ぎた。 韓日間の最近3年間の綱引きの歴史を振り返ってみると、慰安婦問題の解決は熾烈だった韓日国交正常化会談の妥結よりさらに難しいものと感じられる。

整理するとこうなる

 今月19日、韓国大統領府が「秋の国際会議を機に会えることを楽しみにしている」という内容の安倍晋三首相の親書内容を公開したというニュースを伝え聞き、安堵感と失望感が入り乱れた複雑な心境に陥った。 誰もが認めるように、現在の両国関係は1965年の国交正常化以後最悪の状況に置かれている。その原因は他でもない“慰安婦問題”等の歴史問題を巡る両国間の対立であり、このような葛藤局面を終息させる重要な分岐点は朴槿恵大統領と安倍首相の首脳会談ということには異論の余地がない。 大統領府が11月に中国北京で開かれるアジア・太平洋経済協力体(APEC)首脳会議などで「朴大統領に会いたい」という安倍首相の親書内容を公開し、朴大統領が24日(現地時間)に米国ニューヨークで開かれた国連総会基調演説で「戦時の女性に対する性暴力は人権と人道主義に反する行為」として、日本に対する直接的な言及を慎んだため、この間一度も実現できなかった両国間の首脳会談が実現する可能性が大幅に高まった。

 最近3年余りの間続いた慰安婦問題を巡る韓日間の対立は、1965年の韓日国交正常化会談以後に両国が国力を総動員して繰り広げた全方向的な外交折衝戦だった。世界3位の経済大国と世界10位圏の新興国とが、両国の自尊心をかけて全面対決を行ったので、その余波は相当なものだった。 その結果、韓日関係が大きく迷走し、米国の東アジア戦略、中国の対韓・対日戦略、日本の対北朝鮮戦略に深い影響を及ぼした。 日本国内では“反韓集会”(ヘイト スピーチなど)と呼ばれる途方もない嫌韓強風が吹き荒れた。

李明博はなぜ独島に行ったのか

 今度の葛藤の意味は、両国が慰安婦問題で譲歩できないお互いの“頑丈な岩盤”のような下限線を確認したという点だ。 そのような意味で今回の事態は来年に修交50周年を迎える未来の韓日関係を規定せざるを得ないので、そのためにこの間の進行経過を徹底的に復碁しなければならない。

 今回の事態の始まりは「韓国政府が慰安婦問題解決のために外交的な努力をせずにいることは違憲」とした2011年8月30日の憲法裁判所の決定だった。 この憲法裁判所の決定により、韓国政府は慰安婦問題解決のために日本との積極的な外交的交渉を始めなければならないという重大な義務を抱え込むことになった。 これを通じて1965年の韓日協定という封印で堅く閉ざされていた韓日関係の本質という“パンドラの箱”が開かれることになる。

 それ以後、どんなことが起きたのだろうか。 当時、日本の首相だった野田佳彦の証言を聞いてみよう。 彼は20日に発売された日本の『週刊東洋経済』とのインタビューで、在任中に起きた韓日間の攻防について詳しく証言した。 2011年9月に就任した野田首相は、就任後初の外国訪問地に韓国を選ぶ。 李明博大統領は韓国を訪れた彼に「歴代韓国政権は任期末になれば(反日という)日本カードを取り出してきたが、自分はそうしないだろう」と話したという。 この時までは李大統領は憲法裁判所決定の意味についてきちんとした報告を受けていなかったものと見られる。

 2か月後の12月18日、日本の京都で開かれた首脳会談で両国首脳はついに正面衝突する。 李大統領が予定された首脳会談の時間を半分以上使って「慰安婦問題は日本政府が認識を変えれば直ちに解決できる問題だ。 大きな次元の政治的決断を期待する」と問題の解決を強力に促したためだ。

 当時、日本の執権勢力は自民党に比べて穏健な歴史認識を持っていた民主党だった。 野田前総理は慰安婦問題解決のために「水面下で慰安婦問題の解決のために知恵を絞り始めた。 打開案を韓国に提案したことは事実」と話した。 当時、韓日攻防を詳しく報道した『北海道新聞』2012年5月12日付記事を見ると、当時の斎藤勁官房副長官が2012年4月に韓国を訪問し、△野田首相が李明博大統領に謝罪し△武藤正敏駐韓大使が慰安婦ハルモニを訪問して謝罪し△政府予算を投じて補償する、という案を提示したと書いている。

しかし、この案を受け取ったチョン・ヨンウ大統領府外交安保首席秘書官は「慰安婦支援団体の意向を聞くべき」として難色を示したと伝えられる。日本政府が慰安婦問題に対する“法的責任”を認めていないこの案では、韓国の世論を説得できないと判断したものと見られる。 そして3か月後の8月10日、李大統領の“うっぷん晴らし”的な独島訪問に至る。

 野田前総理はこれに対して「私たちの案を伝達したが(韓国では)反応がなかった。 大統領府に私たちの提案が伝えられたとすれば、李大統領が突然に独島に上陸することはなかっただろう」と話した。 それほど当時の日本政府にとって李大統領の独島訪問は突然のこととして受け入れられたという意味だ。 いきりたった日本は、以後世界の舞台で独島と関連した自国領土主張を強化し、日本各地で嫌韓デモが本格化する。 そのような意味で当時の李大統領の独島訪問を阻めなかった大統領府の外交・安保ラインは冷静な歴史の評価を受けなければならない。

慰安婦を巡る3年、両国関係は最悪
譲歩できない下限線を確認しただけ
今回の事態は来年修交50周年を迎える
未来の韓日関係を規定するので
この間の進行経過を徹底的に復碁しなければならない
日本との二者的枠組みだけで
問題を解こうとすれば勝算はない
人権という普遍的価値に根拠を置き
世界の世論と日本を説得していく
長期的で遠大なビジョンが必要

朴槿恵は“洛東江戦線”死守から開始

 しかし両国間の水面下での折衝がついえたわけではなかった。当時、水面下での交渉に関与した和田春樹東京大名誉教授は、日本の月刊誌『世界』9月号で「李大統領の独島訪問で韓日関係が険悪化の一途を辿る切迫した状況で、両国が最後の努力をした」と書いている。 すなわち、斉藤官房副長官が10月28日に東京でイ・ドングァン大統領特使と会い、△韓日首脳会談の合意内容を首脳会談共同コミュニケとして発表し、△文言に“道徳的責任”という表現を除いて“国家や政府の責任”を認める内容を含ませ、△日本の大使が被害者を訪問して謝罪文・謝罪金を渡し、△第3回韓日歴史共同研究委員会で慰安婦に対する共同研究を行うという内容で合意したということだ。

和田名誉教授はこれについて「李大統領はこの案を受け入れたが、野田首相が最後の瞬間に決断を下せなかった」と証言している。 日本が“法的責任”を認めなかった最初の案には韓国が、これを認めた二番目の案には日本が反対したわけだ。これを通じて、日本の民主党政権もついに受け入れられなかった慰安婦問題に対する日本の下限線は、日本政府の“法的責任認定”であったことを確認できる。 そして2012年12月、民主党政権が崩れ安倍政権が登場する。

 安倍政権の最も大きな特徴は、日本が過去に犯した侵略と植民支配の歴史を否定する歴史修正主義を信奉している点だ。 実際に安倍首相は就任前から、慰安婦動員過程の強制性を認めた河野談話(1993年)と日本が侵略と植民支配によって周辺国に大きな被害を与えたことを認めた村山談話(1995年)を修正する意志を明らかにしていたし、昨年12月には靖国神社を参拝して米国から「失望した」という屈辱的な反発を買うことになる。 これに対抗して、2013年2月に登場した朴槿恵政権は梗塞した韓日関係の正常化の条件として、河野談話と村山談話の継承と慰安婦問題解決のための日本の誠意ある措置を先に要求した。 李明博-野田政権が慰安婦問題をどのように解決するかを巡り“38度線付近”で対立したとすれば、朴槿恵政権は河野談話などを修正するという安倍政権に対抗して就任当初から“洛東江(ナクトンガン)戦線”死守に追い込まれていたわけだ。

 慰安婦問題に対する安倍政権の本格的な攻勢が始まったのは昨年10月だった。 当時『産経新聞』は河野談話の作成過程で日本政府が韓国人慰安婦ハルモニ16人を相手に記録した証言録を入手し、証言に弱点が多いという点を挙げて「歴史的な資料としては使い難い」と主張したためだ。 以後、菅義偉官房長官は2月28日に衆議院予算委員会で「河野談話に対する検証調査を始める」と公式宣言する。

 その時点で韓日関係の悪化を憂慮した米国が介入する。 バラク・オバマ米国大統領は3月24日、オランダのハーグで開かれた核安保首脳会議で韓米日首脳会談を持つという強い意志を明らかにし、事実上日本に対する圧迫に乗り出した。 結局、安倍首相は3月4日に参議院予算委員会で「安倍内閣でこれ(河野談話)を修正することは考えない」と宣言する。 河野談話を修正すれば、慰安婦問題を女性に対する甚大な人権侵害と認識している米国世論を決定的に悪化させかねないという戦略的判断をしたものと見られる。 実際、米国下院は2007年7月に全員一致で「日本政府が若い女性たちを強制的に性的奴隷にした事実を認め、歴史的な責任を負わなければならない」という決議案を採択した経緯がある。 慰安婦問題と関連して、日本が越えてはならない韓国側の下限線として“河野談話”が確認された瞬間だ。 しかし、これは韓国自らの力ではなく米国など国際社会との共助を通じて勝ち取ったものだ。

 以後、日本では河野談話を大きな枠組みで維持させるための事後措置が続く。安倍政権は6月20日、当初予告した「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」と題した河野談話検証報告書を発表する。 この報告書の性格について、韓国では「河野談話を否定しようとするもの」という評価が支配的だったが、日本では逆に「河野談話をきわどく生かしたもの」という見解が主流となっている。 報告書がこれまで日本右翼が河野談話を攻撃するために掲げた種々の論点を逐一除去しているためだ。

 代わりに報告書は、内容の三分の一程度を河野談話が出た後、日本政府が提示した解決策であるアジア女性基金に対する説明に割いている。その過程で韓国政府が当初は慰安婦問題に対する日本政府の“道義的責任”のみを認めた女性基金に対して「歓迎する」立場を明らかにしたと強調している。 慰安婦問題解決のための誠意ある先行措置を要求している韓国政府の主張を無力化するための緻密な構成と解釈される。 以後、菅官房長官は「河野談話を修正しなさい」という自民党内一部の圧力に対して「河野談話を修正する意思はない。 慰安婦問題に対して追加的な措置を出す意思もない」という立場を繰り返し明らかにしている。 慰安婦問題が3年間の長いトンネルを越えて、再び原点に戻ったのだ。 別の見方をすれば、慰安婦問題は李大統領が豪語したように「日本政府が認識を異にすれば直ちに解決できる問題」ではなく、解放後69年が過ぎても真の和解を成し遂げられずにいる韓日関係の実体を象徴的に見せる非常に深淵な問題かもしれない。

11月の首脳会談で「留保」結論の可能性

 今や残っているのは朴大統領の決断だ。 朴大統領が11月に安倍首相に会うなら、慰安婦問題を事実上“留保”する方向で結論を残すように見える。 その場合、朴大統領は「安倍首相に会って慰安婦問題の解決を直接促す」という論理を駆使するだろうが、安倍政権が韓国が納得できるような措置を出す可能性は全くない。 そしてほとんどが高齢な慰安婦被害者の状況を考えてみる時、このような“留保”は事実上慰安婦問題解決の放棄を意味するかも知れない。 反対に朴大統領が安倍総理に会わないなら、韓日関係の冷却期間は更に続かざるをえない。 その間に日本との関係改善を要求する米国の圧力が続くだろうし、両国関係の悪化を通じて甘受しなければならない国益の損失も少なくないだろう。

 個人的な感想を言えば、韓国の保守政権が持っている根源的な親日性を考慮してみる時、結局、朴大統領は安倍首相に会う方向で結論を出す可能性が高く見える。 最近3年間の教訓は、韓国が日本との関係で二者の枠組みだけで問題を解こうとすれば、勝算は殆どないという点だ。 慰安婦問題の根本的な解決のためには“人権”という人類普遍的な価値に基づいて世界の世論と日本を説得していく、長く至難な過程を踏まざるをえない。朴大統領にそのような長期的で遠大なビジョンを期待できるだろうか。

東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014.09.26 20:42

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/657101.html  訳J.S(5411字)

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