大学院に通う時、軍から主要職務を担当
海軍1次長の秘書室副官として1ヶ月
本部管理制度担当として1年4ヶ月
当時の将校服務者「その年は非常状況…
1年半を職務をせずに大学院? それは嘘だ」
軍生活の半分を‘事実上無職責’だとしてソウル大大学院に通えたというムン・チャングク総理候補者の説明が16日<ハンギョレ>による取材の結果、無職責どころか海軍本部の主要職務を担当していたことがわかり、偽り説明疑惑を買っている。国防部と軍関係者によれば、ムン候補者がソウル大大学院に通った1974年当時、中尉であったムン候補者は海軍1次長(中将・現 海軍参謀次長)の秘書室副官と海軍本部企画管理参謀部管理制度担当として在職していた。 この日ムン候補者は「慣例と手続きに問題なかった」と再解明をしたが、‘軍服務中に大学院修了’という特典疑惑に虚偽説明疑惑まで、疑惑は拡大の兆しを見せている。
ムン候補者は1973年7月から海軍1次長の秘書室副官として勤め、1974年4月から転役するまでは海軍本部企画管理参謀部管理制度担当として軍生活を終えた。 この期間中、ムン候補者は1974年3月からソウル大政治学科大学院(昼間)に通った。 ムン候補者は秘書室副官として勤務中に1ヶ月程度、以後は管理制度担当として勤務中に1年4ヶ月間にわたり服務中に大学院に通ったわけだ。 ムン候補者が事実上無職責であったということは上官である1次長が1974年2月に発生した曳引艇沈没事故の責任を負って解任された以後の3月を指しているようだ。 だが、ムン候補者が明確に副官の職責を維持していた点、新しい上官である1次長が直ちに赴任した点、そしてムン候補者も一ヶ月後の4月に管理制度担当に移ったという点で、1年6ヶ月間にわたり無職責であったという候補者の説明は納得し難い。
ムン候補者はこの日午後、解明資料を出して「40年前の状況であるため正確に記憶してはいないが、軍服務中にソウル大大学院課程に通ったことは当時の慣例と手続き上、問題はなかった。 海軍本部でもはるか昔の事なので文書が保管されていないが、上部の承認を得て適法に進行されたと明らかにした」と説明した。
1974年当時、将校として服務したある予備役提督は「ムン候補者は嘘をついているようだ。 3年勤める学士将校を、職務を持たずに1年半も大学院に通わせるような指揮官はいない」として「特にその年の状況を考慮すれば、なおさらだ」と断言した。 1974年には海軍は曳引艇沈没事故と陸英修(ユク・ヨンス)女史被殺事件で非常状況が続いた。 <ハンギョレ>はムン候補者側に副官業務と企画管理参謀部業務に関する説明を聞くため数回電話通話を試みたが連絡がつかなかった。 ハ・オヨン、チェ・ヒョンジュン記者 haha@hani.co.kr