二人の労働者が並んで立った。 服装も姿勢も似ていた。 二人は蔚山(ウルサン)現代自動車1工場の同一工程で同一時間仕事をする同僚だ。 だが、一人は正規職で一人は社内下請け労働者だ。 市民の目は誰が正規職で、誰が非正規職なのかを区分できるだろうか?
写真左側はチョン・ギョンウ(36)氏で、右側はキム・マンジン(34)氏だ。 見かけでは二人の労働者を見分ける差も、差別も伺い難い。 容貌や体格、実力や学力の差、後先などが正規職と社内下請けの運命を分けたのではない。 役割も、能力も、年齢も似ている。
非正規職とは正規職ではない者をいう。 ‘非’の含意は大きい。 いつ解雇されるか知れなかったり、短時間だけ仕事をしたり、特定期間だけ使われて捨てられるのが‘非’の運命だ。 このような人生を耐えなければならない労働者が全体(1800万人余り)の半分に迫る895万人に達すると労働界は見ている。 オ・ミンギュ全国非正規職労組連帯会議政策委員は「外為危機前後に財閥・巨大公企業を頂点として残りの業者が垂直下請け系列化された。 資本は費用を惜しみ労働条件は悪化した。 非正規職はその最末端にいる」と話した。
<ハンギョレ>は同じ仕事をする非正規職と正規職の労働者たちに色々な産業分野で会った。 そして彼らを読者の前に並び立ててみる。 ‘隠れた非正規職探し’を通じて、正規職と非正規職を分ける線の意味を覗いて見る。 答は下記事の写真説明にある。
文イム・インテク記者 imit@hani.co.kr 写真 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr
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月給の話が出てくればよそよそしくなる、私たちは仲良しです
二人は仲良しだ。 蔚山(ウルサン)で生まれ育って現代車工場で会った。 お互いを "兄さん" "弟" と呼ぶ。 工場では誰も一人で休んだり遅れを出すことはできない。 感光コンベヤーベルトに載ってやってくる車体に‘ラゲージトリム’(車体とトランクを区分し防音・断熱する装置)を二人の労働者が分担して装着する。 兄は右側、弟は左側で、それぞれ6ヶのピンを時間当り55台ずつ8時間ほどかけて挿して、ようやく彼らの一日が終わり新しい一日も来る。
二人が同じ工程を受け持ってから2年が過ぎた。 先月20日‘弟’は出勤しなかった。 非正規職キム・マンジン(34)氏だ。 その日はソウルなどで現代車社内下請け労働者を応援するために糾合された希望のバスが到着した日だ。 キム氏は工場の外で希望のバス搭乗者たちを出迎えた。 ‘兄さん’は工場に出て行き特別勤務をした。 正規職チョン・ギョンウ(36)氏だ。
能力も年齢も似た彼ら
正規職の兄さんは結婚したし
マウンテンバイクなどの余暇生活を楽しむ
非正規職の弟は未婚で
"趣味のようなものは持ち難い"
先月20日、希望のバスが来た日
弟は会社・警察と対峙して戦った
兄さんはその姿が痛ましく
‘もっと楽に生きても良いのではないか’と考えた
現代車には労使間の谷だけがあるわけではない。 労使対立という畝には、正規職と非正規職の間には畝間が掘られている。 それでもギョンウとマンジン氏は仲良しだ。
1978年蔚山(ウルサン)蔚州郡(ウルチュグン)で生まれ、人文系高等学校を卒業したチョン氏は体育大学を志望したが落第した後、専門大に通って中退した。 今は正規職だが当初はチョン氏も現代車社内下請け業者であるS企業に入社して現代との縁を結んだ。 友人が通っていた会社だった。 一ヶ月に5~6日は特別勤務をして、やっと120万ウォン程を受け取ることができた。 2000年の春だった。
チョン氏は2002年10月に正規職になった。 当時、現代車は社内下請け経歴者に加算点を与え大規模新規採用をした。「今より正規職と非正規職の差別が激しかった。 社内下請けの月給も正規職初任の3分の1水準をちょっと越える程度だった。 正規職にならないといけないとばかり考えた」とチョン氏が話した。 2003年まで現代車は社内下請け労働者の中からも正規生産職を採用した。 だが、このような方式の採用はそれ以後10年近く見られなかった。 チョン氏は2000年代に正規職になる最後の列車に乗ったわけだ。 彼は「今でも正規職が忌避するしんどい工程は全て非正規職がやっている。 変わらなかった。 それと共に正規職になることは一層難しくなった。 ただただ痛ましい」と話した。
非正規職のキム氏はチョン氏より2年遅く生まれた。 専門大で建築学を専攻したが、卒業して専攻を活用したことはない。 大学生の時もアルバイトで忙しかった。 ペイント工場でドラム缶を運び、物流会社で配車を担当しもした。 しばらく仕事が途切れた2005年に知人が現代車の協力会社を紹介した。 「単に現代車の中にある業者とだけ聞いた。 どんな仕事をするのかも正確に分からなかったから。 その時は幼かった。」キム氏の話だ。
20代のキム氏には‘兄さん’チョン氏のような現代車正規職就職の機会自体が殆どなかった。 2007年7月に改正される前の派遣法の雇用見なし条項(派遣2年を超えれば元請けに雇用されたものと見なす)を適用すれば、彼も正規職になれる。 2010年現代車社内下請け労働者チェ・ビョンスン氏が最高裁判決を受ける前まではこのような事実も知らなかった。 キム氏の会社はその後 社長と商号が一回変わり、また廃業しながら他の協力会社に統合された。 自身を雇用した協力会社がいつ変わって消えたかははっきりしない。 その度に勤労契約を新たに結んだが、職員はそのままであり身分も変わらないので意味は無かった。
右側の‘ラゲージトリム’を受け持つチョン氏は正規職として採用された翌年に結婚した。 「妻も正規職になったからととても喜びました。 今の給与は控除して7000万ウォン程です。」 好きなマウンテンバイクに乗って、最近はゴルフを習い始めた。 左側のラゲージトリムを受け持つキム氏はまだ未婚だ。 父は既に他界し母と暮らしている。 昨年は税引き前で4200万ウォン余りを受け取った。 「我が家で私が唯一の収入源なので体感賃金はさらに低い。 一ヶ月稼いで一ヶ月暮らす気分」とキム氏は話した。 趣味を尋ねると 「そうしたものを持つことは難しい」 として急いで話を切った。 違いは二倍程の差が生じる給与だけではない。 名節毎の餅代手当、工場の休憩空間、工場出入り名札の種類も二人を分ける。 自尊心の大きさも全く違う。
能力が二人の‘階級’を分けたわけではない。 世界景気の浮沈により非正規職労働者は先に死んで遅く起きる。 ‘人間アブソーバー’という言葉が出る所以だ。 資本は最も遅く死んで、一番最初に起きる。 現代車は‘社内下請け労働者を正規職化しなさい’という3年前の最高裁判決も知らぬフリをしている。 判決の根拠となった雇用見なし条項に対しては憲法訴訟まで提起した。
現代車社内下請け労働者は問題が長期化するにつれ一層孤立する局面だ。 先月20日‘希望のバス’と非正規職支会が‘現代車’と衝突した時、正規職労組(金属労組現代車支部)は自分たちの行事を近隣で開催した。 一種の代議員団結大会であった。 正規職労組員の相当数は特別勤務をした。 社内下請け労働者たちはこの日、現代車と体で、正規職とは気持ちで当たらなければならなかった。 協力会社は社内下請け労働者が空けた席に他の社内下請け労働者を投入した。
キム氏は「口では正規職労組との連帯を言っても、非正規支会ではそれを感じるのが容易でない。 金属労組主催の集会に行けば、後では非正規職が警察と対峙して、正規職支部は発言だけして抜けたりもする」と話した。 正規職のチョン氏は「弟みたいに私は心が強くないのか、もう少し楽に生きても良いのではないかと考えもする。 会社が再び非正規職を相手に正規職採用しているから志願書を出せば良いのに」と話した。
希望のバス暴力が発生した日 「ケガしなかった」というキム氏と「(キム氏らが)傷つくのではないか心配」というチョン氏は仲良しだ。 チョン氏とキム氏に最初から実力や学力の差などはない。 時代と政府、そして現代車が分けた‘運命’があるだけだ。 仲良しの意志だけでは超え難い不和だ。
イム・インテク記者 imit@hani.co.kr
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