原文入力:2012/03/01 08:54(1726字)
←3・1節を翌日に控えた29日午後、第1011回日本軍慰安婦問題解決を促す韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)水曜デモがソウル、鍾路区(チョンノグ)、中学洞(チュンハクトン)の駐韓日本大使館前で開かれた。 慰安婦被害者キル・ウォンオク ハルモニと市民・学生など300人が合唱団公演を観覧している。 リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr
慰安婦ハルモニ2人、死後請求権 挺対協に委任
‘蝶々基金’造成に…最初の対象は民主コンゴ女性
韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は日本軍慰安婦キム・ボクトン(86)、キル・ウォンオク(84)ハルモニが日本政府から法的賠償金を受けることになれば、そのお金を戦争被害女性を助けるために使うことにしたと29日明らかにした。 挺対協はそのために‘蝶々基金’(仮称)を作ることにした。 蝶々は日本軍慰安婦ハルモニを象徴している。 幼虫期間を経て華麗な翼を広げる蝶々のように、ハルモニも痛切な過去から抜け出し自由になることを望むという意味だ。 蝶々基金の最初の支援対象はアフリカ、コンゴ民主共和国のレベッカ マシカ カチュバイだ。 彼女は1998年コンゴ内戦当時、軍人に性暴行にあった後‘傾聴の家’(Listening House)を建て自身と似た境遇の戦争被害女性たちを助け、彼らの子供を養子にしてきた活動家だ。
蝶々基金造成はハルモニの死後賠償請求権を挺対協側に委任するという点で遺言の意味も濃厚だ。去る28日、ソウル、西大門区(ソデムング)、忠正路(チュンジョンノ)の挺対協憩いの場で会ったキム ハルモニは「私たちが(戦争被害を)加えられたので、その人々も私たちのような目に遭ったのではという気がした」として蝶々基金設立を決意した理由を説明した。「老いて患い、この世にオンマ(お母さん)と呼んでくれる子供もなく歳を取ったが、今は私にある全てを分けたかった。」
隣に座っていたキル ハルモニが話を引き継いだ。「少しの痛みなら心に長く抱いていることもありませんが、あまりに痛かったので13歳から84歳になるまで胸が痛くて、日本の法的賠償と謝罪を放棄できなかった。日本から必ず賠償を受け取り、その金が私たちのように辛く過ごす人がなくなるために使われれば嬉しい。」
ユン・ミヒャン挺対協代表は「今回の決定でハルモニが亡くなっても挺対協が賠償請求権を委任され日本の戦争犯罪に対する責任を最後まで問うことが可能になった」として「蝶々基金設立は、日本軍慰安婦ハルモニの願いはお金ではなく、日本政府の公式謝罪だという点を明確にするという点に最大の意味がある」と語った。
日本政府はこの間、日本軍慰安婦問題の解決のために‘女性のためのアジア平和国民基金’(アジア女性基金)という民間団体を通じて慰労金を伝達する方式だけに固執し、1965年韓日協定で合意した内容以上の法的賠償や公式謝罪はできないという意を固守してきた。 だが、挺対協側は韓日協定当時、日本軍慰安婦問題は扱われておらず、これは民間次元の慰労金ではなく日本政府の法的賠償と謝罪を通じて解決しなければならない問題だとしアジア女性基金に反対してきた。 キム ハルモニとキル ハルモニもアジア女性基金から出る支援金の受領を拒否した。
今後、挺対協は蝶々基金を別途の財団として発展させ、日本が慰安婦ハルモニに法的賠償をするまでは市民の寄付により戦争被害女性たちを支援する計画だ。 この過程で必要な法律諮問は民主社会のための弁護士会(民弁)が引き受けることにした。
挺対協と民弁は‘世界女性の日’である来る8日、ソウル、鍾路区(チョンノグ)、蓮建洞(ヨンゴンドン)の挺対協事務室で‘日本軍慰安婦ハルモニ遺言公布および蝶々基金発足記者会見’を開く予定だ。
チョン・ファンボン記者 bonge@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/521498.html 訳J.S