ところが、今回の2011年7月22日のオスロ虐殺の場合は、まさにこの要素が完全に欠落しています。犯人ブレイビクは裕福な外交官の家庭に生まれ一生豊かに会社員ないし中小企業経営者としての生涯を送っていた上に、学校でいじめにあったことなど一度もなさそうに見えます。彼は移民者たちへの憎しみを吐き出していますが、実は彼の住んでいたオスロの富裕な西部地域では貧しい移民者の子孫たちに会う可能性はあまり高くありません。幼い頃から物質的に恵まれた環境で育った、可視的にはいかなる悔しい思いもしたことのなさそうな福祉国家の市民は、一体どうして未曽有の殺人魔になったのでしょうか。信念のためでしょうか。信念なら当然重要な起爆剤の役割を果たしましたが、信念だけでは、止むを得ない防衛でもない状況では、人間として最も至難な行動、すなわち同類を殺す行動を取るのは不可能に近いです。理念的な動機以外の、何らかの心性的な背景がなければこのような行動は不可能なのです。
「一体どうしてこうなったのか」という質問は、ブレイビクにだけ投げられるものでもありません。 約1年前にアフガン侵略に参加したノルウェーのある軍人たちが「戦場で人間を殺すってどんな気持ちなのか」という記者の質問に「セックスよりずっとうっとりしてよかったよ」と自信満々に回答し、ノルウェーにかなりの衝撃を与えたことがありました(? artid=10036779)。彼らによれば、引き金を引いて倒れてしまった「タリバン」の死骸を見た時の気持ちはセックスしながら感じるオルガズム以上のものだったそうです。 この「殺人的な下ネタ」が問題になると、その軍人たちの親分、すなわちノルウェー特務部隊の大将は「戦場で人を殺すことを我々は当然のこととして受け止めなければならない」と念を押した上で、自分自身も爆撃などをしながら人をたくさん殺したと平然と告白(?)しました(
原文: ? artid=10025080)。福祉国家のこの子孫たちは、悔しい仕打ちを受け極度に興奮した状態で殺人を犯したのではなく、反対に「愉快な」興奮を起こすため「ゲーム」のように、退屈しのぎで人を殺したと傲慢に話しているのです。彼らはアフガニスタンではなくオスロ市内でこのような仕業をやらかしたのであれば犯罪人になったはずですが、「非人間」として見なされている「タリバン」を殺したために英雄扱いを受けているのです。豊かに暮らし再分配のメカニズムを通してそれなりの社会正義をも―少なくとも内部では―ある程度実現している社会で一体どうしてこれほど多くの殺人魔たちが生み出されるのでしょうか。読者の皆さまはおそらく理解に苦しむだろうと思います。それもそのはず、「セックスより殺人がずっとうっとりしてよかったよ」といった類の名言(?)を、儒教的な礼義廉恥をまだ完全には忘却していない社会で言うことはやや難しいかもしれません。
殺人魔たちを大量生産するのはまさに資本主義社会そのものです。たとえ「福祉」という緩衝装置によって緩和されようが、基本的には資本主義が生み出させる基礎の心性はすなわち恐怖です。万人の万人に対する恐怖のことです。万人は万人のライバルだからです。競争で負ければすぐに踏まれてしまうのですが、これをよく承知している資本主義世界の市民たちは落伍への恐ろしい恐怖を抱きながら生きています。幼い時から。既に小学校4年生になった私の長男に携帯電話とパソコンを買ってくれとしつこくせがむ理由を聞いたら、「友達はみんな持っているのに自分だけがない。自分は笑いものになるかもしれない」といった話が戻ってきました。まだ「笑いもの」になったわけでもないのに、あらかじめ警戒しているのです。「みんな」にはあるおもちゃを持てず「笑いもの」にされた児童、すなわち落伍者たちを既に見たからです。青年ブレイビクもそうでしたが、なぜ金持ちの家庭出身の多くのノルウェーの高校生たちはお金を出して運動をしたりジムに通ったりするのでしょうか。「体を作る」余裕のない低賃金労働者階層出身と誤解されないため、すなわち同類から疎外されないようにするためと捉える余地も大いにあります(もちろん別の動機もありますが)。どうして特にブレイビクのような自営業者たちの多くは移民者たちに対して最も排他的なのでしょうか。低賃金労働の呪いから逃れるためのほぼ唯一の方便とされる自営業を選び、そして休まずがむしゃらに働くイスラム系の移民者たちを「恐ろしい競争者」と認識するからです。どうしてブレイビクがプーチンのようなファッショ的な指導者に個人的にあこがれながらも、ロシアを「敵国」と見なしたのでしょうか。バレンツ海の油田をめぐりノルウェーとロシアがいつか争奪戦を繰り広げると予想したからです。彼の世界には「愛」は見られず、ひたすら競争者と彼らへの恐怖、落伍への恐怖、疎外への恐怖だけが存在したようです。果してブレイビクの内面だけがこれほどまでに歪曲されたのでしょうか。
子供が友達に殴られて家に帰ってきたら、「今度は殴ってきなさい。殴られないでね」と叱るのが普通の大韓民国では、敵対心と恐怖心はノルウェーより多いことはあっても決して少なくはないはずです。私たちにまだ家族愛のような伝統社会の心性の一部が残存しているため、かろうじて資本主義の内在的な殺人性を少し相殺しているだけです。集団的なエゴイズムというあまり良くない方法のみではありますが。家族さえも解体されれば(その日はまもなく来るでしょう)、何が残るでしょうか。万人に対する競争心理と恐怖、疎外感のほかに。資本主義は深化の一路を辿り、私たちは今まさに地獄に行進しているだけです。まもなく私たちの世界にも多くの「名分のない殺人魔」たちが現われるのは火を見るよりも明らかです。「北朝鮮の脅威」とか「中国の脅威」とか言いますが、資本主義こそが私たちを最も脅かしているのです。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/37017 訳J.S