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[朴露子ハンギョレブログより] 韓進重工業、そして私たちの希望

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/36616

原文入力:2011/07/21 13:39(2338字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

最近 韓進重工業事態を見て感じることが一つあります。何かというと、この出来事が国内の労働運動の発展における一つの大きな転換のきっかけ、一つの一里塚的な意義を持つものであることをひしひしと実感しています。ここで鍵になる言葉は「労働運動の大衆性」、そして「労働運動と市民運動との連帯」です。

1980年代末に極めて不完全ながらも最小限の制度的な民主主義が次第に導入され始めた理由は何だったでしょうか。まさに学生などの「中産階級のたまご」たちが労働運動の流れに乗ることができたからです。学生出身労働運動家たちが「国家の基幹産業」といえる工場でストライキを主導したり、学生やホワイトカラーによる1987年の6月闘争に続き 労働者大闘争が直ちに起きたりする状況では、軍部勢力もそれ以上は粘ることができなくなりました。無理に粘ればさらに大きな爆発が起こりかねなかったからです。言い換えれば、中産階級の若い前衛たちと労働者勢力から挟み撃ちされて軍事政権が崩れたわけです。李承晩政権の沒落がもっぱら中産階級の前衛たちによって行われたという点を考え合わせれば、この点には歴史における相当な進歩を感じることができました。

ところが、「労学連帯」が統治者たちにとって脅威的であっただけに、その連帯を解体させるための努力も尋常ではありませんでした。特に、金大中・盧武鉉政権時代にかなり多くの学生運動出身活動家で構成された市民団体などは国家プロジェクトを引き受け、国家の諮問機構に参加することにより「不純な」反体制的な性格をかなり失ってしまいました。金大中政権は2001年2月に大宇自動車富平工場のストライキを暴力的に鎮圧するなど、労働者に対する様々な野蛮な悪行を憚ることなく重ねたにもかかわらず、金大中は多くの市民団体の活動家たちに「民主主義の化身」でした。と同時に、主に守勢にまわっていた労働界は次第に孤立していきました。攻勢と言うよりは守勢であった労働法改悪反対の1996-7年のゼネストはそれでも市民社会からの支持をかなり得られたものの、金大中政権以降「民主主義の化身」としての金大中とその側近たちが一生懸命に流布させた新自由主義イデオロギーは「市民」階層、すなわち安定した職場を持つ大卒たちや中小企業人などの間に深く根付きました。労働者の厳しい闘争を「集団エゴイズム」と罵倒する保守メディアのレトリックはかなり上手く受け入れられるようになりました。民営化に反対する2002年春の発電産業労組のストライキでは、労働界からの支持は得られたものの市民社会からはあまり注目されませんでした。「民主主義的」な政権は「労働者」と「市民」の間に見えない壁を築くことに成功したわけです。

その時点から最近までの状況は、実はほとんど絶望的でした。特に非正規労働者たちは悽絶な戦いを繰り広げましたが、「外」からの支持を充分に得られなかったこの戦いは簡単に敗れるか、極めて部分的な勝利を収めるか、長期化されるかでした。国家と使用者側が消耗戦で粉砕したKTX女性乗務員たちのストや6年にもわたったキリュン電子のストは、「市民」との連帯が弱い状況で不安定労働者の闘争がいかに難しいかをよく示しています。「市民」たちが「労働界」にあまり積極的に連帯できなかっただけに、「労働界」も「市民」たちの運動にあまり積極的ではありませんでした。たとえば、2008年のキャンドルデモは労働運動と結ばれず、ひたすら「市民」たちだけの闘争で終わってしまったため、結局は国家との消耗戦で負けてしまいました。1980年代末の「労学連帯」を解体させた統治者たちがほとんど快哉を叫ぶに値する状況になったわけです。ところが、李明博政権の末期的な危機に世界恐慌の影響も加わった今になって状況が変わり始めました。

先日の弘益大非正規職闘争において「一般人」の連帯が可視化されましたが、特に今回の韓進重工業事態では多くの市民たちが確実に影島の労働者たちの味方になりました。「市民層」の動向をよく反映している進歩的な神父さんたちの街頭ミサや「希望のバス」、そして幾多の善男善女たちのヒーローになったキム・ジンスク先生の圧倒的なカリスマなどは、この状況が以前とは異なる展開を見せていることをよく物語っています。配当金を増やしながら労働者たちの暮らしを破壊し、産業基盤を解体する「株主資本主義」の掠奪性に、今や労働界のみならず多くの「市民」たちも目覚めてきました。整理解雇、産業移転、株主配当金優先主義、そして国家とメディアへの資本の徹底した統制などを特徴とするこの社会に何の未来もないことにようやく気づいたのです。1996~7年以来、ほとんど初めて「労働者」と「市民」は手を握り合いました。この連帯が続けば、私たちがこの闘いに勝利することができれば、中長期的に歴史の流れを変えることができると思います。労働者と市民の連帯は韓国型新自由主義との決戦を挑むだけの力を持っています。この決戦で労働者―市民の連帯が勝つか、かなりの成果を手にすることができるなら、資本主義そのものが急に沒落することはないにしても、少なくとも三星共和国というこの国家の病理的な現在の姿を解体することはできるかもしれません。これこそが今の私たちの希望です。

原文: 訳J.S