原文入力:2011/07/09:32(1743字)
釜山-馬山民主抗争鎮圧に投入された海兵7連隊は、飛んでくるデモ隊の石に当たっても耐えていた
←キム・ジョンデ<D&Dフォーカス>編集長
生物が遺伝子を通じて自身を複製するように、人間集団も自身の文化を後代へ伝承する。このような集団の遺伝子を社会生物学では‘ミーム’(Meme)という。これを通じて他の集団と区別される強いアイデンティティを形成するが、その典型的な事例がまさに海兵隊だと言える。陸海空軍とは異なり2万5000人に過ぎない小さな兵力だが、神話を通じて構成員を感動させ、強い規律を通じて構成員を服従させる。
しかし、問題は自己中心的思考に閉じ込められてしまい進化が止まってしまったことにある。遺伝子が複製される過程で、他の遺伝因子を受け入れ交換しなければならないのだが、それができずに変化と革新を図りにくい状況になってしまったわけだ。特に海兵隊文化は他の集団によって自分たちの組織が革新されたり検証を受けることも拒否する。ユ・ナクチュン司令官の「海兵隊組織文化が他の軍に比べて10年以上遅れている」という話も、それだけ海兵隊が閉鎖的だという意味だ。
今年初めに進行された韓-米連合訓練時のことだ。韓米連合司令部は海兵隊が担当する上陸作戦が果たして実効性があるのかを検証することにし、これを訓練課題として選定した。この消息を聞いた海兵隊司令部は、緊急に米太平洋司令部海兵隊将軍に「陸軍が海兵隊の作戦計画を検証しようとしている」としてこれをやめさせてくれと要請した。米海兵隊の将軍が韓米連合軍司令部企画参謀部長に電話し、その課題を除くよう圧力を加えた。両国の海兵隊が迅速な‘合同作戦’で、自分たちの作戦計画には髪の毛1本ですら触れないようにすることに成功した。しかし、我が国海兵隊の上陸作戦というものが有事の際に使うに足る計画なのか、他の作戦要素と重なったり衝突する点はないのか、我々が上陸作戦能力を備えているのかは全く知る術がない。
恐らくこういう状況が続いて実際に有事になれば、不十分な作戦概念と検証されていない能力により より大きな失敗と犠牲が発生する恐れがある。こういう問題点は組織文化にもあらわれた。今回の銃器惨事で4人が亡くなり‘期数列外’をはじめとする奇想天外な海兵隊特有の悪習が明らかになった。これに対して海兵戦友会など予備役の一部では、海兵隊の伝統を作るための規律確立の一手段と弁護している。本当に強い軍隊ならば他軍が思いもよらない挑戦的で創意的な訓練目標を明確に確立しなければならず、検証された作戦概念と能力を整えなければならない。しかし‘作られた神話’で見てくれだけを整え‘意地と度胸で’持ちこたえる軍隊は強い軍隊ではなく強いふりをする軍隊だ。
このようになった瞬間、進化が止まってしまった。その代わりに組織の遺伝子の中に潜伏した悪習ウイルスが全身に広がっていった。首脳部将軍2名が司令官陰湿攻撃事件ですでに拘束されたのに続き、今回の銃器惨事で司令官までが退くならば これは1973年に海兵隊が海軍所属に転換されて以来 38年ぶりに海兵隊首脳部が壊滅する初めての状況だ。
軍人精神はそれ自体は特別なことでなく、市民精神の延長でなければならない。海兵隊精神の最も立派な手本は1979年の釜山-馬山民主抗争だ。共和党舎と放送会社が焼け、その混乱の渦中で釜山へデモ鎮圧のために投入された海兵7連隊は飛んでくるデモ隊の石に当たってもじっと耐えていた。そして市民と友人になり海兵隊の人気が沸騰した。釜山駅へ出動した鎮圧軍のある中尉は、切符を売るアガシ(若い娘さん)と結婚までした。しかし、その翌年にはるかに平和なデモが起きた光州では空輸部隊はそうはしなかった。海兵隊が強くなるには32年前のように民主主義を要求する市民の要求に服従する道しかない。‘制服を着た市民’として、民主社会の市民精神を再確立することが海兵隊精神より先だ。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/487382.html 訳J.S