右派のジャーナリストで「チョ・ガプチェ・ドットコム」のチョ・ガプチェ代表が、慶州(キョンジュ)でのアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の直後、自身のフェイスブックに極右は「歴史のゴキブリ」に転落したと投稿した。「トランプが来て尹錫悦(ユン・ソクヨル)を獄中から救い出すとか、中国が不正選挙の元凶だとか、戒厳令を啓蒙令などと呼ぶ」極右の陰謀論も容赦なく批判した。
保守論客でさえ背を向けるこのような荒唐無稽な話は、いかにして感情的な共鳴を生み、勢力を広げてきたのだろうか。陰謀論、さらに憎悪を栄養源とする極右の拡大は、民主主義の失敗の結果ではなく、民主主義に伴うものとしてとらえるべきだと、多くの民主主義研究者は述べる。
世界的な感情社会学者で『ポピュリズムの感情』(The emotional life of populism、未邦訳)の著者であるエヴァ・イルーズ教授は先月、第16回ハンギョレ・アジア未来フォーラムに参加し、民主主義は制度以前に感情で構成される建築物だと述べた。民主主義を支える感情は、希望、失望、嫉妬、怒りなどであり、努力を通じてよりよい人生と社会の進歩を達成できるという「希望」が、不公平な現実に直面すると「失望」へと変わり、怒りに転じ、極右ポピュリズムの心理的栄養分になるのだ。
たとえば、米国の白人男性労働者層が相対的な剥奪感のもとで、自分たちの不安と怒りをエリートや移民などのマイノリティーに噴出するようなものだ。エヴァ・イルーズ教授によると、怒りは「道徳的言語で偽装した復讐心」であり、極右の拡大は理性の失敗ではなく、希望が裏切られたときに生じる感情の復讐だ。民主主義が約束した平等とよりよい世界に対する夢が破れるとき、嫉妬や怒りが湧き上がり、極右政治に取り込まれることになるのだ。
韓国極右の感情を研究してきた社会批評家のパク・グォンイル氏も、感情が支配する今の政治を、単なる「非理性的な狂気」として片付けるのは危険な診断であり、日常世界の感情が政治に拡大・変質した結果とみなすべきだと述べる。不平等の拡大のもとで喪失感を持つ中産層や、かつては産業化の主役だったが、今では忘れられた世代になってしまった高齢者層、女性や移民が自分たちの仕事を横取りしていると怒る青年男性たちにとって、極右言説は失われた自尊感を回復させる物語として機能する。特に、ソーシャルメディアのアルゴリズムは、このような感情を拡散・増幅し、厚みを持たせる。
政治は理性的な合理性だけで機能するものではなく、感情に乗って動く。「歴史のゴキブリ」と嘲笑される極右の「非合理的な感情」が、どのような感情の構造の上で生じたのかを調べなければならない。正確な批判のためにも。