お笑い芸人のイ・スジによる「大峙(テチ)ママ」のパロディー動画が異例の再生回数をあげ、話題になっている。大峙洞(テチドン:ソウルの有名な塾・予備校街)ママたちの「制服」と言われるモンクレールのダウンコートと英語を混ぜた教養美あふれる言葉づかいは、驚くほど現実が反映されているという反応が少なくない。どこかで一度は見たような気がするというコメントがあふれている。身なりと同様に注目されているのは、4歳の息子に対する私教育(塾や習い事。公教育と対になる概念)密着支援だ。イ・スジの扮する若い母親「イ・ソダムさん」は、息子のジェイミーを車で数学塾に送り届けてから、車から降りる間もなく英語塾の先生と電話する。昼食をのり巻きで済ませ、チェギチャギ(羽を片足で蹴りあげる韓国の伝統遊び)の家庭教師の面接に向かう彼女は、ジェイミーの「英才的モーメント」の発見に時間を惜しまない。
「極性ママ」と攻撃されたことで、いつしか風刺は嘲笑になった。ブランド品で飾った身なりが集中砲火を受けているようだが、実は、母親が一日中子どもの私教育に孤軍奮闘することに対する反感の方が大きい。子どもの入試に影響を及ぼしうるし、それができない親の方が多いからだ。
母親の車での送り迎えは、シャトルバスを運用することの少ない大峙洞の塾街の象徴であり、ジェイミーの「トイレのしつけの家庭教師」は、私教育でできないことはないというインフラ水準を示している。ジェイミーのママが身につけるブランド品は、私教育費は惜しみなく使うという経済的余裕の証だ。空いた時間にねちっこく面接をして家庭教師を選ぶことも、蓄積された人脈と情報がなければ不可能だ。
20年あまりにわたって入試専門家として仕事をしてきたチョ・ジャンフン氏は、大峙洞のことを「欲望の最前線」、かつ「その外の人々にとっては相対的な剥奪感を刺激する場所」であると言っている(2021、『大峙洞』)。大峙洞の大学入試成功談と不動産神話は、「教育を通じた階級上昇」に没頭する人々を広範に招き寄せた。彼の観察によると、大峙洞の親たちは4つのグループに分かれる。1970年代に分譲マンションを購入した大峙洞の原住民(大原族)、2000年代の建て替えブームとともに入居するようになった大原族の子どもたち(サケ族)、経済的負担を負ってでも伝貰(チョンセ:契約時に賃貸人に高額の保証金を預け、月々の家賃支払いはない不動産契約方式)で住宅を借りて住む人たち(大伝族)、大峙洞の塾に子どもを車で送り迎えする非江南(カンナム)圏の住民(遠征族)だ。
大峙洞の塾街の中心は、銀馬(ウンマ)交差点付近からハンティ駅までの区間だ。実際の住民になれる人は限られているが、遠征族は交通手段の発達とともに流入し続ける。近くはソウル江北(カンブク)圏、遠くは京畿道東南部に至るまで。
学齢人口が急減しているにもかかわらず、大峙洞の塾街は揺らいでいない。露骨な競争社会において、我が子だけが淘汰(とうた)されるようなことがあってはならないという不安は、まったくおさまっていないからだ。塾はさらに幼い年齢層の攻略を開始している。子どもが小学生のうちに「入試トラック」に乗せるべきだとする「小学校私教育ロードマップ」が、流行のように広がっている。英語幼稚園に通わせるための「4歳入試」→有名な英語塾入学のための「7歳入試」→先行・深化学習専門数学塾に通わせるための「ファンソ(雄牛)入試」などだ。入試という言葉が使われているのは、入塾試験対策塾の受講が必要なほど準備が大変だからだ。15分で英語のエッセイを作成させたり、高校で学ぶ微積分の問題を解かせたりする年齢は、年を追うごとに低下している。大きな反響を呼んだ大峙洞のパロディーも、現実をすべては描ききれていない。
幼児期の過度な私教育に対しては懸念も強い。幼児期の学業ストレスは脳の発達に深刻な影響を及ぼしうる。4~7歳は前頭葉の特定部位とのネットワークが形成されはじめる段階だが、その時期にネットワークが過度に刺激されると、それがきちんと形成されないという(ソウル大学病院小児青少年精神科のキム・ブンニョン教授、「追跡60分-7歳の入試」)。入試成功談が語られることは多いが、それより多くの失敗談と後遺症はきちんと共有されない。
にもかかわらず、政府は乳幼児の私教育についてはその実態さえ知らない。過去最高値を記録した2023年の27兆ウォンもの私教育費に、乳幼児と「n浪生(一浪以上の再受験生)」は含まれていない。家族全員が子どもの私教育にかかりきりになる期間は、小中高の12年間ではなく、幼稚園と浪人の期間を合わせて少なくとも16年以上と長期化している。
韓国銀行の総裁が江南出身者に対して大学入試で上限を設けようと言ったほどだ。しかし大学入試制度を見直し、教育熱を抑えたからといって、変わるものは多くはない。小学校の一斉試験が廃止されるとともに、成績順位をつけるのも廃止されたが、全国に数十の支店を持つ塾は入学試験へと子どもたちを追い込んでいる。「我が子の成績がどれくらいかを確認したい」という母親たちの不安な気持ちを攻略したのだ。大学修学能力試験(修能:全国一斉に実施される統一の大学入学試験)の英語科目を絶対評価に変更したら、幼児期に英語の学習を終わらせ、以降は数学の勉強に集中するという公式が出来上がった。大学入試での「キラー問題(超難問)」をなくしたからといって私教育に力が抜けないのも同じ脈絡だ。
競争社会に亀裂を入れない限り、その様相が変わるだけで、問題は繰り返される。私教育費は家計消費を圧迫し、少子化にも影響を及ぼす。保険適用外診療の膨張と共に急上昇する医師の所得と、それにともなう医学部ブーム、ますます減る良質の雇用、就職活動をせずただ「休んでいる」若者たちのため息が、あらゆる人々をさらに激しい競争へと追いやっている。「大峙ママ」のからかいでモンクレールを着なくなったという話は聞いても、私教育を減らしたという話はあまり出てこない理由はここにある。
ファンボ・ヨン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )