ロシアとウクライナ戦争で、ロシアのクルスク州に派遣されたとされる北朝鮮軍が、1月中旬以降は戦線で目撃されていないことを受け、ウクライナと米国など西側当局は戦線から撤退したと伝えている。ウクライナ軍当局は、1万1千人の北朝鮮軍が戦力を40%も失い撤退したが、永久に撤退したわけではなく、再投入に向け補強されるか、追加派兵される可能性があるとみている。昨年10月18日に韓国国家情報院(国情院)が公式発表して以来、ロシアとウクライナの戦争における最大の懸案に浮上した北朝鮮軍の派遣は、再び曖昧な霧の中に入った。
北朝鮮軍の撤退の時期が絶妙だ。終戦を急ぐというドナルド・トランプ大統領の就任とほぼ一致する。まず、北朝鮮とロシアがトランプ大統領の就任に合わせて、終戦交渉に誠意を示した可能性がある。特に、北朝鮮との対話の意志を表明してきたトランプ大統領にとって、北朝鮮としては負担のない非公式の返事ともいえる。米国防総省、国務省、国家安全保障会議などで時々行っていた派遣北朝鮮軍に対する言及も、トランプ大統領就任後には消えた。
北朝鮮とロシア、米国のいずれにとっても、もはや北朝鮮軍の派遣が注目を集めるのは負担になった可能性がある。北朝鮮とロシアはこれまで、北朝鮮軍の派遣を公には認めず、西側が大騒ぎするのを裏で楽しんでいる様子だった。派兵をきっかけとした朝ロ両国の戦略的連帯の強化と国際戦への飛び火の可能性は、米国にとって大きな負担だった。朝ロは北朝鮮軍の派遣に曖昧な立場を取り、ウクライナ戦争などで米国に対する交渉力の向上を目指したものとみられる。
ウクライナにとっても、トランプ大統領の就任後は北朝鮮軍派遣が注目を集めるのは負担が大きい。何よりも、これまでの北朝鮮軍派遣のプロパガンダをさらに続ける動力が落ちた。これが受け入れられる余地がないからだ。ウクライナはこれまで、北朝鮮軍派遣を立証するという資料を次々と公開し、これは西側や韓国メディアによって増幅され、米当局の確認につながる「プロパガンダ」の構造を運営してきた。北朝鮮まで参戦したのだから、西側の兵器供与がさらに必要だと呼びかけるのが目的だ。
韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権はウクライナの最大のパートナーだった。尹政権の対北朝鮮対決路線において、これは最大の好材料だった。尹大統領は昨年12月3日の戒厳令のために北朝鮮との局地戦を捏造しようとしたという情況まで明らかになっている。問題は、これまでウクライナと韓国が協力しあって北朝鮮軍派遣の実体を把握するよりは、自分たちの政治的目的に活用したことにある。北朝鮮軍派遣を立証するという様々な資料の大半が、粗悪に捏造されたことがこの点を示している。
米国のロイド・オースティン前国防長官は昨年11月23日、北朝鮮軍がこれまで戦闘に「積極的に関与」していることを明確に示す報告はなかったと述べた。しかし、国情院が北朝鮮軍の派遣を発表してから(オースティン前長官の発言までの)ほぼ2カ月間、北朝鮮軍が戦闘に参戦したという各種資料が発表され、これに基づいたニュースが飛び交った。ウクライナのミサイル攻撃で500人の北朝鮮軍が一度に死亡したというニュースから始まり、戦闘で負傷した北朝鮮兵がプーチン大統領を罵る動画、クルスク戦線ではためく北朝鮮の国旗、逃走するロシアの戦車についていく北朝鮮兵の動画、北朝鮮軍が食べる犬肉の缶詰やカップラーメンなどのフェイクニュースが紙面と放送を飾った。
その後も状況はさほど変わっていない。北朝鮮軍なのか、ロシア内のモンゴル系ブリヤート人なのかが不明なアジア系の兵士が、朝鮮語をひと言話す場面を撮った動画は数え切れないほど流れた。このようなニュースを流した韓国のメディアでも、その大半が捏造された資料だという報道をせざるを得なかった。
そうこうするうちに、トランプ大統領が就任し、韓国の尹錫悦大統領は違憲戒厳令で弾劾された。ウクライナと韓国が推進していた北朝鮮軍派遣プロパガンダを生かせる場所はもう探すことが難しくなった。北朝鮮軍派遣に関するこのような資料とニュースが捏造されたからといって、北朝鮮軍の派遣は虚構だと言いたいわけではない。だが、このような捏造された資料とフェイクニュースによって、北朝鮮軍派遣問題は政治的に汚染された。結果的にその実体はさらに曖昧になった。
実在は認識とは独立して存在する。しかし、「存在することは知覚されるということであり、知覚を離れて存在することはあり得ない」という経験論的認識論もある。相手を認めなければ存在しないというのが、国際政治の一つの属性でもある。実在しても知らないふりをするのも一つの作動原理だ。
今後、ウクライナ戦争に派遣されたという北朝鮮軍はどうなるだろうか。弾よけ用の兵力だったのに、状況によっては突然勇猛で巧みな戦闘兵へと変身する北朝鮮軍はどこに行ったのだろうか。我々はそのような北朝鮮軍をいつまた見ることができるだろうか。