第46回世界遺産委員会が21日からインドのニューデリーで始まった。日帝強占期に大規模な朝鮮人の強制動員があった新潟県の佐渡鉱山(佐渡島の金山)が世界遺産に登録されるかどうかが、韓日の間で争点となっている。登録されるかどうかは今月26日から29日の間に決まる。
日本政府は朝鮮人強制動員問題を避けるため、佐渡鉱山の世界遺産登録対象期間を江戸時代(1603~1867)に限定するという露骨な小細工を用いた。しかしユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)がブレーキをかけた。イコモスは先月、佐渡鉱山について「世界遺産リストで考慮されるほどの価値があると判断する」としながらも、いくつかの指摘事項を付けて保留を勧告した。「朝鮮人強制動員」についての内容もその一つだ。イコモスは「鉱業採掘が行われたすべての時期を通じて推薦資産(佐渡鉱山)に関する全体の歴史を現場で包括的に扱う説明および展示戦略を樹立したうえで、施設および設備などを整備すべき」と述べた。登録の過程で朝鮮人の強制動員を含む全体の歴史を反映しなければならない、という韓国側の要求を受け入れたのだ。
日本政府は「強制動員はなかった」と主張し続けているが、これは説得力が弱い。佐渡鉱山の朝鮮人強制動員の実態は、韓国側ではなく日本の市民社会が明らかにした成果だ。33年前の1991年8月、在日同胞問題に高い関心を持っていた佐渡島の称光寺の住職、林道夫さんが佐渡鉱山の朝鮮人の煙草配給名簿を確保したことで、パンドラの箱が開いた。1944~1945年の太平洋戦争当時に三菱鉱業佐渡鉱業所が鉱夫たちに煙草を支給する過程で作成したこの名簿には、400人あまりの朝鮮人の名前、生年月日などが記されていた。林さんと地元の人々は1991年から95年にかけて3度も韓国を訪ね、佐渡鉱山で働かされていた被害者を自ら探し出した。「逃げて捕まった人が殴られるのを見た」、「地元で(連れて行く人の)割り当てがあると言われて佐渡に連れて来られた」、「いつも腹が空いていたし、統制されていた」など、彼らは当時の状況を生々しく証言した。
被害者の証言だけでなく、佐渡鉱山の運営会社が作成した各種資料、日本政府や警察が作った公文書、新潟県の文献など、朝鮮人強制動員の証拠は枚挙にいとまがない。太平洋戦争(1941~1945)が始まると、佐渡鉱山では金だけでなく軍事物資に必要な銅、亜鉛、鉛などが集中的に採掘されはじめ、人手不足を確保するために植民地だった朝鮮の1500人あまりの労働者が動員された。新潟県が1988年に出した『新潟県史 通史編8 近代三』は、「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋(あっせん)』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」とはっきりと述べている。
30年あまり前、韓国との間を行き来しながら朝鮮人強制動員の実態調査を主導した林さんに、記者は2022年8月、佐渡島で会った。彼は「過去の歴史的事実をありのままに見るべき。逃げてはならない」、「朝鮮人強制動員などの戦争責任問題は、人間の尊厳を取り戻すためにも私たち日本人が追及され続けなければならない課題」だと語った。林さんは持病が悪化し、今年3月に77歳で亡くなった。彼の願いはかなえられるだろうか。
キム・ソヨン|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )