あまりにも珍しい場面なのでじっくり眺めていたら、ほんの小さな違いが目に入ってきた。昨年12月初旬、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が大手企業の会長らを屏風のように並べ立て、釜山のカントン市場でトッポッキを食べている写真だ。サムスン電子のイ・ジェヨン会長の箸だけが他のと違っていた。大統領と他の会長らは一膳の赤い箸を持っているが、イ会長だけが赤と黒の組み合わせだった。狭いテーブルの端の箸箱に二種類の箸が混ざっていたので、慌てたおでん屋のおばさんが手に取ったものを渡してあげたようだった。
想像はすぐに箸とサムスン電子の縁に及んだ。実は、箸は韓国が生んだ世界的な半導体企業の誕生秘話に出てくる「器物」だ。他界したイ・ゴンヒ前サムスン会長は1974年、潰れかかった「韓国半導体」を買収し、後のサムスン半導体の種をまいた。「テレビもまともに作れないのに半導体は欲張りすぎ」という制止が激しい時、イ・ゴンヒは「自腹を切ってでも株を買う」と突っ張った。「私たちは箸文化圏なので手先が器用で、靴を脱いで生活するなど清潔を重視する。このような文化は半導体生産に適している」。時代が産業社会から情報社会に移る兆しがある中で、情報化の中核を担う半導体製造が我が民族の才と特性にぴったり合うと説得したイ・ゴンヒの「箸文化論」だ。未来学者のアルビン・トフラーも著書で、箸を使う民族が21世紀の情報化時代を支配するだろうと書いた。そのためか、この50年間、先端半導体の製造は韓国、台湾、日本など、箸を使う東アジア諸国が席巻した。
父親の箸が未来と決断のアレゴリーだったとすれば、イ・ジェヨン会長のちぐはぐな箸は何だろうか。「勘が鈍った」と感じる人もいるだろう。産業の流れを先読みして準備する勘が鈍ったサムスン電子の今の姿だ。AI時代に需要が急増した広帯域幅メモリー(HBM)の可能性を見過ごし、ハイニックスに先頭を譲り苦戦している。ウェハーに回路を刻む前工程の精度を極限に高めることに没頭した結果、パッケージングやテストのような後工程が重要になる傾向を見逃し、ファウンドリで1位のTSMCとの格差がさらに広がった。非メモリー半導体のような新しい領域で成果は遅々として進まず、今はメモリーとファウンドリでも国家の全面的支援を受けた米国のマイクロンやインテルに挑戦状を突きつけられた状況だ。
金融業界から出てくるサムスン電子危機論は、この10年を「失われた時間」と規定する。倒れた先代会長に続きイ・ジェヨン会長がグループ経営のキーを握った時期と重なる。匿名を希望した前政権の政策担当者は、かつて成功を成し遂げたサムスンの事業構造が作動していないようだと診断する。「サムスンの人々は『黄金のトライアングル』、すなわち会長のリーダーシップ、戦略室の企画力、そしてエンジニア出身の最高経営者の執行力が『超格差』を作る動力だと誇っていた。ところが、そのうちの2つ、すなわち会長のリーダーシップと戦略企画の機能が弱体化した。特に、国政壟断事件にまきこまれて未来戦略室を解体した後、合法的で正常にコントロールタワーが作動して作り出すべきシナジーまで消えたようだ」ということだ。
別の見方をすれば、ちぐはぐな箸は創意と革新の隠喩ともいえる。箸の色を合わせてご飯を食べるべきだというのも固定観念だ。これまで通ってきた道だけを歩もうとする人は、新しい道を作ることができない。企業の興亡盛衰の歴史の中で、トップ企業は成功の経験が常に落とし穴になる。変わるべき時に安住し、新しいパラダイムで打って出る挑戦者に敗れる。未来の収益源になる技術や特許を十分に持っていながらも事業転換に失敗したゼロックスやコダックがそうだった。インテルもコンピューター中央処理装置(CPU)の甘い収益性に安住し、モバイル時代に存在感を失った。かつてのサムスン電子は違った。技術の可能性に果敢に投資し、成長エンジンを発掘した。自社のビジョンに固執し、フラッシュメモリー、LCD(液晶ディスプレイ)、スマートフォンで市場をつくり先取りした。今、サムスン電子に必要なのは未知のものに直面する勇気と、スティーブ・ジョブズが革新の動力だと指摘した「ハングリーさ」だろう。
サムスン電子にとって良いことが自分にも良いことなのかと問う人もいるだろう。しかし、韓国の国内総生産(GDP)の10%以上を担うサムスン電子の失敗は、韓国経済にとって災いであることは明らかだ。外国メディアはすでに製造業韓国の黄昏について報じている。半導体が一級の戦略物資として扱われ、多くの国々が補助金をつぎ込んでいる国家対抗戦の時代、先端半導体企業を持つのと持たないのとは大きな違いだ。そのような激動期に、サムスン電子に残された反転の時間は5年以内かも知れない。イ・ジェヨン会長とサムスン電子のハングリーさと切実さを期待する。