与党「国民の力」の惨敗を懸念する保守陣営の声が急速に高まっている。野党第一党「共に民主党」の候補公認騒動の際には勝利は明らかなようにみえたが、「民心朝夕変」(人心朝夕変=人の心はすぐに変わるという言葉をもじったもの)と言われるように、状況はすぐに変わった。しかし予測が誤っていただけで、実際に変化したものはない。4月10日の総選挙を貫く核心は、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の国政運営の失敗だ。「長ネギ1束が875ウォンなら合理的な価格」と口にした大統領の発言が象徴するように、経済は厳しく物価は高騰しているのにそれに対処する能力も意志もない政権勢力に票を投じろというのは無理強いに近い。
選挙の基本環境を作ったのは尹錫悦大統領だ。しかし、その状況に風を起こし、過去最大級にダイナミックにしたのはチョ・グクの登場だ。祖国革新党の出現に対しては数多くの批判と支持、反論のカテゴリーが存在する。一例として、最高裁判決が下されれば拘束される人物が党の代表であることが正常なのかという攻撃は、懲戒されて検察総長職を途中で辞め、直後に政治に飛び込んで大統領になった人もいるのに、何が問題なのかという反論によって、立つ瀬を失う。
政党名に代表の名を示す単語(祖国の発音は「チョグク)を入れ、「3年は長すぎる」と叫ぶ祖国革新党に、ポピュリズムの傾向があることは否定できない。しかし、2000年代以降に既成政党の構図を破壊して登場した欧州の第三政党が例外なくポピュリズムだと批判されたことを思い出せば、それほど驚くべきことではない。スペインで左派の第三勢力政党として旋風を巻き起こしたポデモスの指導者、パブロ・イグレシアスが「私たちをポピュリズムだと非難したいなら、するがいい」として気にも留めない反応を示したのは示唆的だ。
祖国革新党は「反尹錫悦」の基盤の上に立っている。しかし、予想をはるかに上回る支持率の安定的な高さは、伝統的な進歩政党の衰退と関係している。近ごろはやりの「地民比祖」(地域区(選挙区)は民主党、比例は祖国革新党)というスローガンは、完全に新しいものというわけではない。2000年に韓国政治に進歩政党である民主労働党が初めて登場して以来、「地域区は民主党、比例は進歩政党」という分割投票(split voting)の流れは、民主改革勢力の内部では常に存在した。民労党が2004年の第17代総選挙の比例投票で13%の得票率を上げ、10議席(地方区2議席を含む)を獲得したことには、分割投票の動きが少なからぬ影響を及ぼした。
今、進歩政党は非常に困難な立場にある。正義党の比例代表1番だったリュ・ホジョン前議員が、フェミニズム攻撃で政治的立場を固めたイ・ジュンソク代表と手を握り、候補登録の直前に出馬をあきらめるという無責任の極みを示したことは、進歩政党の現実の一断面をあらわにしている。
その空いたスペースを祖国革新党が埋めた。祖国革新党は反尹錫悦の強い熱望を基盤としているだけでなく、民主党より「もう少しラディカルな」政治勢力を望んでいた人々の期待を反映している。2004年の総選挙直後の世論調査(4月16日、ハンギョレ・メディアリサーチ)によると、民主労働党の支持率の最も高い年齢層は25~34歳だった。20年が経過した今、彼らが祖国革新党を支持することを不思議に思う理由はない。よく選挙を決定付ける変数として、若い浮動層の動向が言われる。実際は40~50代の投票率の影響の方が大きい。民主党が圧勝した2020年の第21代総選挙の投票率を分析した中央選管の報告書によると、その4年前に比べて投票率の上昇幅が最も大きかった年齢層こそ40代と50代だった。比例投票で40~50代が祖国革新党へと傾く現象が、なぜ国民の力にとっては災いとなりうるのかがうかがえる。
これまでの韓国政治において、意味のある規模の第三政党は中道を志向するか、保守政党のさらに右に立っていた。2016年のアン・チョルスの国民の党(38議席)が前者なら、1992年のチョン・ジュヨンの統一国民党(31議席)や1996年のキム・ジョンピルの自民連(50議席)は後者だ。民主党より左で、国会の院内交渉団体(20議席)を構成するほどの政治的影響力を発揮した政党はない。
そのような政党が生まれる可能性が垣間見えている。容易ではない。祖国革新党が30%近い票を得たとしても、議席は13~14にとどまる。だが、民主党と比例連合政党を結成した市民社会団体や他の第三政党と連帯すれば、まったく不可能なわけではない。もしかしたら、韓国政治史で初めて民主党より左に立つ院内交渉団体が見られるかもしれない。
新たな地形が韓国政治をどのように変えるのかを予測することは難しい。民主陣営が長期にわたって2つの院内交渉団体を持ったのは、1988年の第13代国会(金大中(キム・デジュン)の平和民主党と金泳三(キム・ヨンサム)の統一民主党)が唯一だ。その時代には国政調査と聴聞会が導入され、不動産投機を防ぐ法律(開発利益還収法)が作られるなど、国会の活動が最も活発だったことを思い起こす必要がある。
パク・チャンス|大記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )