師匠の傲慢と独善をもはや座視することはできなかったようだ。
「持ち上げ同調する者は親しく接し、可否を問い意見を述べる者は疎遠にし、過ちを正そうとする者には後患が伴いますが、素直に従う者に災いはありません。これこそまさに、世を圧倒する大きな名声にもかかわらず、内面の徳性が病んでいる理由です」
当時の権臣、宋時烈(ソン・シヨル)に対する論考は、まさに今日の話のようだ。この「辛酉擬書」(1681)は、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が先月、慶尚北道安東(アンドン)で誇らしげに語った10代前の宗祖父、尹拯(ユン・ジュン)が、尤庵(ウアム。宋時烈の号)の偏狭な人事、独断、話が通じないことを厳しく批判した文章だ。世論調査で尹大統領に対する否定評価の常に上位になっている理由と正確に重なる。
「支持率30%大統領」尹錫悦を作った第1の要因は人事、すなわち人の使い方だ。調査(ギャラップ)にそっくりそのまま表れている。昨年5月10日の就任直後には52%だった支持率は、2カ月足らずで28%(7月第4週)へと急落した。前の桁数が4、3、2と順に下がっていった3回の大きな変曲点において、否定評価の1位は例外なく人事だった。他のすべての要因を圧倒した。「よくやっている」という評価はその後、今に至るも40%台を回復したことがない。3日に発表された「政権発足1年6カ月における分野別政策評価」でも「公職者人事」は7分野中最下位(肯定17、否定61)を記録した。
事前に明らかな警告があったにもかかわらず、反映されていない。就任直後の調査で、「人事聴聞会で最も容認できない問題は」という質問に対する答えは、脱税・財産増殖(52%)が最も多かった。続いて不動産(35%)、入試・就職不正(32%)、前官優遇(21%)、盗用などの研究不正(20%)、兵役(15%)の順だった。「正解」が満天下に公開されていたわけだが、尹大統領は「誤答」ばかりを選んだ。やむを得ず辞任で整理された長官(候補含む)に、上記の項目が一つも抵触していない人はいない。立法府での聴聞報告書の採択なしに任命した18人にも該当者が多数いる。前任の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も任命を34人も強行したが、5年の任期を全うしての数だ。今のスピードなら新記録は間違いない。
果ては、司法府の長まで「誤答」の候補を選んで否決された。にもかかわらず、またしても大学の同期を憲法裁判所長に指名した。法務部による人事検証は大統領のかたくなさを合理化する「アリバイ」になり果ててしまった。
高位の公職だけの問題ではない。イ・ジュンソク(前代表)を追い出して「資格」未達のキム・ギヒョンを与党「国民の力」の代表に据えたのも、与党を私党にしたのも、「補欠選挙誘発者」キム・テウ前区長を超高速で赦免して同じ区の区長候補に公認したのも、10月11日の補欠選挙に惨敗したキム・ギヒョン代表をあえて留任させたのも、すべて尹大統領のおこなった人事だ。その度に支持率はむなしくストンと落ちた。大統領は「大統領の人々」で評価されるといわれるが、人事が「亡事」になってしまったのだ。
人々にとって馴染みのない「知人執着型」用人術が、大統領の体には染みついている。検察総長が大統領府や法務部と協議し確定して送った「庁内人事案」を覆したのは、ソウル中央地検長時代のことだ。自らの仲間で埋めた人事案を新たに策定した。文在寅の大統領府に顔が利く検察の後輩をメッセンジャーに立て、大統領の裁可も取り付けた。一介の地検長が人事名簿を勝手に変えたのは、検察史上空前絶後だ。2年後に検察総長になると、問題の「尹錫悦師団」をさらに高い地位に布陣した。検察の垣根を越えて法務部の要職にまで自分の仲間を据えた。やがて大統領になると、同じ人事パターンを国中の高位職に拡大、適用している。
補欠選挙の惨敗後、尹大統領は何度も「反省」を口にした。人々の注目を集めた。しかし数日もたたないうちに、引責辞退した「尹核関(尹大統領の核となる関係者)」をまたしても与党の人材迎入委員長に据えた。「総選挙直轄+人事不変」宣言だ。「人間尹錫悦」を長きにわたって近くで見てきた検察出身者たちは「それ見ろ」と言った。「それでも変化の可能性は…」と尋ねたら笑われてしまった。30%大統領の「これまで通り」は、総選挙敗北-無難なレームダックへと真っすぐにつながっている。
「愚かで惑わされている私としては、最後まで理解できない」。宋時烈が尹拯に送った返事には、省察ではなく嘲笑があふれていた。現実においても変化はなかった。いわゆる「礼訟論争」の時からの政敵(尹ヒュ)が逆臣とされ自決させられた時、「斯文乱賊」(異端)の烙印(らくいん)を押し、老論の領袖となってからは荒々しい党派闘争をやめなかった。しかし、彼もまた政敵と同じ運命は避けられなかった。
カン・ヒチョル|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )