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[コラム]韓国の医学部定員拡大とブラックホール

登録:2023-11-07 06:15 修正:2023-11-07 09:34
拡大される医学部定員の配分は条件付きで行われなければならない。定期的に評価を実施し、当初の目標である医療脆弱地への配置、必須医療領域の医療人の養成、良い医師の育成という3つの目標を達成できてない場合は、増やした定員を回収しなければならない。 
 
シン・ヨンジョン|漢陽大学医学部教授
尹錫悦大統領が先月19日、忠北大学ケシン文化館で行われた「生命と地域を助ける必須医療革新戦略会議」で発言している=ユン・ウンシク先任記者//ハンギョレ新聞社

 資本主義国である大韓民国には2つのブラックホールがある。一つは「金」、もう一つは「ソウル」だ。ブラックホールはあらゆるものを吸い込む。先日、医学部定員拡大政策が発表されたが、増えた医師たちも結局はソウルに、金になる領域に行ってしまうから、百薬も無効だという懸念もここから生じる。

 今年8月、江原道三陟市(サムチョクシ)に住む80歳のAさんは、7つの病院を回ったにもかかわらず受け入れてくれる病院がなかったため死亡した。「救急室のたらい回し」だ。先月、大邱(テグ)のBさんは、突如高熱を出した6歳の子を抱いて夜明け前から小児科の扉の前で並ばなければならなかった。「小児科オープンラン」だ。今年6月、江原道の妊婦のCさんは分べん室を探して2時間さまよったあげく、結局はソウルのある病院までヘリコプターで搬送された。「産婦人科ヘリラン」だ。今日もビッグ5の病院で治療を受けるため、地方から特急列車に乗って水西(スソ)駅に降りたがん患者のシャトルバスの待機列は50メートルを超える。「がん患者高速列車ラン」だ。

 このような悲劇的な場面の原因の一つが医師不足だ。専門家たちは、現在の韓国の医師数は経済協力開発機構(OECD)加盟国平均と比べてすでに7万~8万人不足しており、現定員を維持しても、2030~2040年も1万4千~4万人不足しているだろうという。

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は先月19日、医師の数を増やすと発表した。また、国立大学病院を保健福祉部の所管へと移管し、地域の必須医療システムを強化すると述べた。公共医学部の設立、公共病院の拡大、医学部定員の拡大の規模に関する言及がないことを除けば、政治的立場を問わずこれまで専門家が要求してきた内容をかなり含んでいる。

 しかし懸念もある。最大の懸念は、今回の発表案は国民の苦しみを解決するためというより、主に改革に実績を示せていないため焦る政権と、総選挙のスローガンが必要な政界、「安価な」医師が必要な病院界、医学部誘致で地位を高めようと考えている大学のロビー活動によるものだという分析が示されているからだ。

 現在の医療システムの問題を解決するためには、医師の数を増やすだけでなく、道徳性を備え、必要な場所で自らのつとめを果たす「良い」医師を確保しなければならない。

 医療脆弱地と必須医療領域を守る良い医師と良い病院が存在するためには、医師の献身性のみに頼るのではなく、「善良な赤字」を補填する政府の意志と実効的装置がなければならない。しかし新型コロナウイルス禍当時、第一線で対応した公共病院の大半は、職員の給料すら直ちには払えないほどの経営難に苦しんでいる。労組の推定では、2023年の赤字分の解消だけでも少なくとも3500億ウォン以上が必要だが、政府の2024年度の回復期支援予算は0ウォンだ。このような有様では、崩壊した公共病院の現在は地域医療の拠点である国立大学病院の未来となるだろう。

 実損保険、営利目的の遺伝子検査の容認など、医師を営利領域へと追いやる政府の医療営利化政策も問題であり、すでに30~40%に達するという過剰・違法診療や、病院・医院を管理する力量も持たせないまま医師の数だけを増やそうとしていることも懸念の理由だ。

 今回の政策を、いくつかの既得権勢力による医学部定員の奪い合いの宴に終わらせないためには、どうすればよいのだろうか。

 第1に、今回の改革案は保健福祉部長官ではなく、大統領直属の保健医療発展委員会(仮称)を作って主導させなければならない。市民参加も大幅に増やさなければならない。第2に、この委員会は適正な医師数の算出や拡大だけでなく、地域および分野ごとの適正配置、「良い医師」の育成という3つの政策案を同時に策定しなければならない。第3に、あわせて十分な規模の具体的かつ安定的な財源の確保策も立案しなければならない。最後に、拡大される医学部定員の配分は条件付きで行われなければならない。定期的に評価を実施し、当初の目標である医療脆弱地への配置、必須医療領域の医療人の育成、良い医師の育成という3つの目標を達成できてない場合は、増やした定員を回収しなければならない。

 以上のようなやり方で進めなければ、増えた医師たちがやはり首都圏で非必須医療領域にとどまり、存在しない医療需要すら作り出すという、いわゆる「空き病床は埋まるものだ」という保健政策家ミルトン・ローマーの呪いが現実のものとなるだろう。その一方で、急速な高齢化と地方の崩壊の中できちんとした治療を受けられなかったり、高額化した医療費で破産する民衆の悲鳴があふれるだろう。

 アインシュタインの一般相対性理論によれば、ブラックホールは光さえ抜け出せない。しかし、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキングは、微細な世界を支配する無作為の量子効果によってブラックホールはエネルギーが奪われ、最終的に蒸発して消えるだろうと言った。そのころには私たちも、ソウルも、韓国の医療システムも消えるだろう。私たちは蒸発する前にこのブラックホールを脱することができるのだろうか。

//ハンギョレ新聞社

シン・ヨンジョン|漢陽大学医学部教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1115031.html韓国語原文入力:2023-11-06 07:00
訳D.K

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