「この主張について我々は独自に検証できていない」
私は昨年2月末からロシアのウクライナ侵攻についての報道を担当しているが、海外メディアの記事で最も多く接したのが上の文だ。これは、戦争当事者の一方的な主張を伝えているものの、その主張は客観的に確認されたものではないということを読者に想起させる際に、慣例的に用いる表現だ。
この文に接するたびに2つの考えが交差する。まず「確認されていないことを伝えておきながら、このような小細工で責任を軽減しようとしているのではないか」と感じる。だが一方では「戦争のように一方的な主張が飛び交う特殊な状況においても客観性を維持しようとするもの。苦心の産物だ」と感じる。気持ちが傾くのはやはり後者だ。毎朝起きるやいなやウクライナの戦況を真っ先に確認しつつ、「今日は記事をどう書けばよいだろうか」と悩むという、個人的な経験のせいだ。
先月7日のパレスチナのイスラム武装組織ハマスによるイスラエルに対する奇襲攻撃以降、戦況を伝える外国メディアの記事にも、この文は間違いなく登場する。しかしウクライナ戦争の報道とは異なり、この程度の「客観化装置」だけでは批判は避けられない。パレスチナとイスラエルの対立がそもそも根強く、米国や英国などの西洋諸国にはこの対立を「他人事」だとは考えない人が多いからだ。そのうえ支配層の親イスラエル傾向も非常に強いため、メディアが反イスラエルまたは反ユダヤ人的傾向を少し示すだけでも激しく攻撃される。
近ごろ西洋メディアが受けている圧迫の中には、ハマスを「テロリスト」と表現せよというものがある。英国の政治家たちは戦争初期から、公営放送BBCがハマスをテロリストと表現しないことを問題視していた。先月16日、首相官邸の報道官は「多くの報道機関がハマスのことをテロリスト集団であると正確に描写している。あらゆる状況において正確さが重要だと思う」としてBBCに圧力をかけた。これに対しBBCは、自分たちの任務は何が起こっているのかを説明し、大衆が自ら判断できるようにすることだと真っ向から反論した。実際のところBBCは、イスラエル寄りだとの批判もしばしば受けてきた。
フランスを代表する通信社AFPも同様の圧力にさらされている。フランス政界でこのことが問題になっていることを受け、AFPは先月28日、これに対する見解を報道資料のかたちで配布した。AFPはこの文章で「偏見なく事実を報道するという使命に従い、AFPは直接的な引用や出典があるケースを除いては、運動や集団、個人をテロリストとは表現しない」とし、「このような方針は他の国際メディアの編集政策とも一致するもの」だと表明した。そして「テロリストという用語は高度に政治的であり、感情を刺激するもの」、「多くの政府が自国内の抵抗運動や反対運動にテロリストというレッテルを貼っている。このようにレッテルを貼られた抵抗運動や個人は、国際的に受け入れられ、自国内の主流政治の一部にもなる」と述べた。さらに人種差別に抗して闘った人権活動家出身のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領を代表的な例としてあげた。
メディアがいくら客観性を維持しようと努力しても、読者の目には一方に偏って見えがちだ。しかし、客観性を維持しようという努力だけは守らなければならない。この努力は、結局は読者の知る権利に貢献するはずだ。
シン・ギソプ|国際ニュースチーム先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )