原文入力:2010-04-14午後07:36:18(1746字)
←ユ・ドンミン忠南大教授・経済学
キム・ヨンア選手がオリンピック後、初めて自身が在学する大学に寄って行ったという。報道によればキム・ヨンア選手は大学総長様と会い激励のお言葉を聞き、2時間の授業に遅れて出席し10分余り講義を聞き、群がり集まる学生たちのために写真撮影までした。その記事を読んで思い浮かべたことは、あきれたこと授業日数の3分の1以上を欠席した学生には無条件にF(不可)単位を与えなければならないという成績処理指針だった。誤解しないで! 焉敢生心(できっこない)国民妖精の出席状況に拘って自爆する "烈士" になろうというつもりは毛頭ない。ただし、その大学がまさに "巨大な敵‘大学・国家・資本’に小さな石を投じ" たかったというキム・イェスル学生が通った大学だという点が心にとても引っかかった。キム・ヨンア学生を励まして自慢した総長様や教授らが、果たしてキム・イェスル学生には何をしてくれたのだろうか? いや、私がもしその大学の教授だったら何の話をしてあげることができただろうかという思いだ。しかし、すぐにつまらない想像であることを悟る。私が本当に心配しなければならない対象はキム・ヨンアやキム・イェスル、そして彼らの大学ではなく私たちの大学、私たちの学生たちだということだ。
かなり昔に私が通った高等学校には、そのありふれた "伝統の名門" はさておき、ダークホースの声すら一度も聞けなかった予選脱落だけを繰り返していたが、ある日 電撃解体された野球部があった。学級朝会が終われば、一日中運動場で野球練習だけをしていた、一緒に生活してみたことがないので名前を思い出すはずもない同窓生たち。その年齢まで野球のほかには何もしたことのない彼らの中で、それでも実力を認められた選手たちは他の学校の野球部が受け入れたが、残りは一日で路傍に投げだされてしまった。教務室の片隅で泣いていたその選手たちの姿を思い出しながら、私は国家であれ資本であれ既成世代であれ、そのどんな対象に対しても石を投げる力さえない、いわゆるスペックにならない非名門大に通う多くの学生たちを思う。不人気学科に通っているという理由で一日で企業ではない学校から "構造調整"対象になり、卒業と同時に労働市場で不良品の扱いを受けなければならない事情を思う。
大学が国家に従属し顔色を見なければならなかった独裁政権時期、教授らはデモを阻むことに動員されなければならなかった。そのような体制に批判的な教授らはメシの種が切れざるをえなかった。文字どおりの物理的暴力の前に、大学がひざまずかなければならなかったのはわずかこの前だ。それでもその時期に静まりながらも試験を拒否した学生たちの成績を処理し、馘首の危険を押し切り支持声明を渡した教授らもいた。例えば不当な国家権力を相手に、少なくとも一部の教授と学生たちは同じ側に立って戦ったわけで、長く見ればその戦いを勝ち抜いたのだ。しかし最高権力者の大統領でさえ "権力は市場へ渡った" と話したことも何年かが過ぎた今日、大学の資本に対する従属はますます完成されつつある。この従属は独裁権力とは違い、物理的な力を行使するのではなく経済的誘引で強制されるという点で一定部分 "自発的" な性格を帯びている。大学の名前を知らせれば、そして安定した働き口を得ることに役に立つならば、学事原則や魂までも売らなければならない生存競争の前に、すでに "同じ側" は存在しないためだ。
"1割2分5里の勝率で世の中を生きていく皆" (パク・ミンギュ,<三美スーパースターズの最後のファンクラブ>)にとって大学での暮らしは何の意味を与えるのだろうか? 個人は個人なりだが、集まって社会を作るのもまた個人だ。それで彼らの大学でなく私たちの大学に関心が必要なわけであり、戦いは今から始まらねばならない。
ユ・ドンミン忠南大教授・経済学
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/416006.html 訳J.S