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[寄稿]日本の植民地支配を正当化する「月刊朝鮮の建国節主張」

登録:2023-10-27 07:57 修正:2023-10-27 08:39
ユ・ミン|光復会対外協力局長
1948年8月15日、中央庁広場で大韓民国政府の樹立を宣言する李承晩初代大統領=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 「大韓民国はいつ建国されたのか」という「月刊朝鮮」編集長の記事は、建国の時期を読者に問う形式だが、実際には「1948年8月15日の建国は常識」で終止符を打つ。他の建国節の首唱者たちと同じように、1948年以前の臨時政府は存在価値がなく、大韓民国は1948年に建国されたという論旨だ。日帝強占期(日本による植民地支配)における大韓民国を認めず、植民地支配を正当化することであり、独立運動の歴史削除であることは明らかだ。

 さらに、「国」と「政府」の概念まで混同して読者を当惑させる。概念の混同はともかく、憲法の前文に出てくる臨時政府の法統すら「実体がない」として無視する。

 「国として国際的に認められなかった」という論理は、本当に深刻な問題だ。完全な国家を暴力で奪われたが、「(その国は)国際的に認められなかった」という考え自体が、植民地的であることに違いはない。自ら国がなかったと言うのであれば、それは「日本臣民」を自認する言葉ではないのか。

 植民地解放前にも国はあった。国はあったが主権を強引に奪われたのだ。大韓帝国は存在し、3.1運動の後には民主共和制を採択した民国があった。朝鮮半島という「領土」があり、その領土には2000万人を超える私たち「国民」が存在した。モンテビデオ条約を持ちだしても、領土と国民が存在したのだ。

 1948年8月15日は「大韓民国政府の樹立の日」だ。歴史的な資料のどこをみても、建国は見出すことはできない。政府樹立の際、内閣指導者の誰も「建国」に言及しなかった。当時の1948年の式典でも「政府樹立を慶祝」した、李承晩(イ・スンマン)政権が発行した切手も「政府樹立記念」だ。建国節を主張するのは歴史歪曲であり、初代指導者の意向まで歪曲することになる。

 建国節の首唱者が金日成(キム・イルソン)のように偶像化したい人は、李承晩初代大統領だ。だが、李大統領ですら「建国」を口にしたことはない。大韓民国臨時政府に価値を置き、そのトップとして忠実だった。むしろ彼は、1948年5月の制憲議会で大韓民国の正統性を臨時政府に求めた。「今日ここで開かれる国会は、国民大会の継承であり、この国会で作られる政府は、己未年(1919年)にソウルで樹立された民国臨時政府の継承だ」。同年7月の憲法記念日の式典でも、李大統領は国会議長として「1948年に樹立する政府は大韓民国臨時政府を再建するもの」だと明らかにした。大韓民国政府の樹立を「建国」として彼を建国の大統領として掲げるのであれば、それは李大統領に恥をかかせるようなものだ。

 「国はあったが日帝が私たちの主権を奪った」という認識は、1948年12月の制憲国会当時の李仁(イ・イン)法務部長官も同じだった。国籍法を審議した議員が彼に尋ねた。「長官、国籍法を可決する前に、今をこの場にいる私たちの国籍はどこなのでしょうか」。イ長官は一点の躊躇もなく断固としていた。彼は「当然韓国だ。日本による強制占領期に国はあった。政府がなかっただけだ。国はあり政府がないことは多い」と言い切った。李承晩から初代内閣の構成員まで全員が「国はあった。単に日帝が強制的に占領して主権を行使できなかっただけだ」として、国の存在を明確にした。

 編集長は、1941年に臨時政府が公表した「建国綱領」を取りあげ、臨時政府が綱領にある「第一復国」の段階に至らなかったと批判した。だが、建国綱領は主権を取り戻した大韓民国のビジョンを宣言した文章であり、臨時政府がしなければならないことを扱った文章ではなかった。1941年に建国綱領を公表するのに先立ち、1919年に臨時政府は臨時憲章にあたる臨時憲法を定めた。臨時憲法が今の憲法の母胎になった。まさにそこに民主共和国(1章)が登場し、国会(10章)も出現した。

 編集長はまた、大韓民国臨時政府は国際的な承認を得られず、実効的に統制することもできなかったと批判する。これもまた事実とかけ離れている。臨時政府は趙素昻(チョ・ソアン)など多くの臨時政府の人たちの努力によって、国際的な承認を得た。新政府樹立後に行った中国とロシアはもちろん、ポーランド、リトアニア、フランスも臨時政府を承認した。国内の政府システムと連携した機関を設け、実効的な支配も行った。

 「カイロ宣言」は大韓民国の独立を約束した、韓国に関しては世界史的なターニングポイント(転換点)だった。1943年11月27日、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中国の蒋介石総統がエジプトの首都カイロに集まった。100を超える国が植民地に転落していた当時、連合国の首脳は、韓国にだけ独立を保障すると宣言した。なぜそうしたのだろうか。韓国という国は存在したが、日本が暴力的に略奪し、独立運動の烈士は家族、財産、命まで差し出し、粘り強く独立運動を展開したためだ。

 建国節をこれ以上思い出させてはならない理由はまだある。1948年の建国節を主張すれば、日本の植民地支配をもう一度正当化することになる。「新種の売国」だ。1965年に韓日両国は基本条約を結んだ。基本条約第2条には「1948年以前に締結した条約はすでに無効」という条項がある。現在日本は「韓国は1948年に建国し、それ以前には国がなかったので、乙巳保護条約(第2次日韓協約)と強制併合は1948年までは合法」だという。日本の不法な侵奪をまた正当化させたいのか。

//ハンギョレ新聞社

ユ・ミン|光復会対外協力局長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/1113692.html韓国語原文入力:2023-10-26 09:28
訳M.S