最近メディアとSNSで「荒唐無稽条例」あるいは「時代錯誤的条例」と騒がれたソウル市の条例案がある。市議会ではなく、ある市民団体が提案した条例案で、市議会の専門委員室がソウル市教育庁に条例案の検討を要請したことで、その内容が外部に知られることとなった。
条例の名は「ソウル市学校構成員の性・生命倫理規範条例」。性と生命、倫理に至るまで良い言葉が並んでいるが、内容は奇怪極まりない。制定の目的は「生徒、教職員、保護者が性・生命倫理を尊重する学校文化を形成し、生徒が精神的・身体的健康を追求すること、および自律的人格を形成し発展させることに寄与する」としているが、肝心の本文では生徒の性的自己決定権を最小限に制限しなければならないと主張する。青少年は保護の対象にとどめるとともに、保護者に教師と学校が実施する教育を検閲する権限を与えることに主眼が置かれている。親の子女教育権は他のすべての教育当事者のそれより原則的に優位にあり、保護者には生徒の成長段階に合ったやり方で監督する権利がある。性教育を実施する場合、教育監と学校長はその内容を保護者にあらかじめ知らせなければならず、年齢に適合するよう性教育課程を運用しなければならないという条項を見れば、この条例は昨年3月に米国フロリダ州で作られた悪名高い「教育における保護者の権利法」を思い起こさせる。
またの名を「同性愛者と言うなかれ法」と呼ばれる同法は、現在有力な共和党の次期大統領候補として浮上しているフロリダ州のロン・デサンティス知事の作品だ。彼は同性愛差別だとの批判に対し「法に同性愛者という単語はない」として謀略だと否定するが、法の内容を見ればむしろ同性愛者を明示していた方がましだ。法の条文はかなり曖昧だが、ミスではなく意図された戦略だと考えられる。
まず、学校の教職員または第三者が性的指向、またはジェンダー・アイデンティティに関して教室で説明したり討論したりすることはできない。また、幼稚園から3年生までは、それらは原則的に禁止され、4年生以上の場合は州が定めた基準に沿って生徒の年齢または発達水準に適合した範囲内でのみ許される。教師がこのような規定を守らなかった場合は、保護者は教育当局を相手取って民事訴訟を起こせる。
何よりも、教室では説明できないという条項が不明確だ。教室の外ではできるということか? 性的マイノリティが登場する学習資料も使ってはいけないということか? 歴史の中の同性愛者たちは消し去らなければならないのか? 同性愛者のクラスメートをいじめる場面を目撃した教師は何と言うべきなのか? 生徒にトランスジェンダーは間違って生まれてきた人なのかと問われた時、どう答えればよいのか? 同性愛者の親を持つ生徒が美術の時間に家族の絵を描いたとしたら、教師はいかなる反応も示してはならないのか?
説明したり討論したりできないという曖昧な規定と、保護者は教育当局を告訴できるという確実な規定によって、どのような行動や言葉が保護者の気持ちを逆なでするのか、学校と教師は顔色をうかがうようになる。だから、多様な人々が暮らす世界を児童と青少年に経験させることを妨害する。公教育が保護者の好みに合わされるというのは悲劇だ。このような状況において、共同体の市民性に関する議論はどこで可能になるのか。
米国フロリダとソウルはかなり遠いが、今の政治社会の風景だけを見ればかなり近く、同じ町のようだ。今回物議を醸した条例案が市民団体を標榜する事実上の宗教団体によって作られ、議会に提出されたものだという事実は、懸念をさらに高める。市議会議員には任期と選挙区という限界があるが、政治勢力化を夢見る宗教界は全国で休むことなく動くだろう。差別禁止法の制定に反対し、生徒人権条例を廃止せよとの圧力も強い。このような中で米国から聞こえてくる性的マイノリティ憎悪と差別の盛り込まれた法の制定のニュースは、胸をさらに締め付ける。この条例が時代錯誤的なのは、旧時代的だからというより、向かって行ってはならない未来を作ろうとしているからだ。
ハン・チェユン|韓国性的少数者文化人権センター (お問い合わせ japan@hani.co.kr )