まもなく2022年も歳末を迎える。政治の時計からすると、2017年の朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾と文在寅(ムン・ジェイン)政権発足で始まった5年の周期が終了し、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権時代が始まった年だった。新政府と大統領がどのような姿を見せてきたのか、そこから現われる尹錫悦政権の性格は何なのか、どのような歴史が進行中なのかを冷徹に考えなければならない時点だ。
これまで尹錫悦政権を特徴づける言葉として頻繁に登場したのが「無能」と「無為」だった。無能とは何もできないことを、無為とは何もしないことを意味する。このような見方で現政権を理解するのは錯覚であるだけでなく、危険だ。韓国社会の懸案を理解して解決する能力と意志がないという意味なら正しい。しかし、尹政権は他の何かをしており、その点で無能ではない。これを見落としてはならない。
尹錫悦政権がこれまで見せた姿から目立つものが3つある。検察国家・警察国家の樹立と極右指向の強化、反労働企業中心体制の強固化への意志がそれだ。政府、マスコミ、財閥の同盟体は、政治権力、イデオロギー、階級関係にそれぞれ関わる三角形を完成させていく過程にある。
第一に、検察国家・警察国家への変化が進んでいる。「検察共和国」という言葉があるが、これは間違っている。共和国の本質は恣意的支配の不在とすべての市民の自由だ。ところが、今の韓国政治の現実は、権力者の恣意的な法執行、政府寄りの市民だけの自由ではないか。大統領室と政府の要職に検察出身が布陣している中、尹政権は梨泰院(イテウォン)惨事から労働者ストライキまですべての事案を犯罪捜査と処罰の観点で扱っており、警察組織もこれに従属あるいは加勢している。これは共和国ではない。
第二に、政権勢力に過激右派色が強まっている。多くの大統領直属または首相直属委員会の要職が、極右政治家とユーチューバー、好戦的なニューライト系の人物で埋められている。さらに、過去には比較的まともな保守政治家に分類されていた与党政治家までもこのような傾向が強まっている。野党政治家や政府政策に批判的な市民を「従北(北朝鮮追従)」、「主体思想派」、「共産主義者」と切り捨て、敵対視する光景はもはや珍しくない。これはまともな保守政権ではなく、多くの保守有権者を代弁するものでもない。
第三に、政府が労働者と庶民の生存の要求を暖かく受け入れる代わりに、徹底的に企業と金持ちの側に立って攻撃している。今夏、大宇造船下請け労働者のユ・チェアン氏が横×縦×高さ1メートルの鉄格子内で低賃金と会社の弾圧に抗議するデモを行った時、尹政権は労働者だけを不法と断定し、警察特攻隊の投入を予告して脅した。最近の貨物連帯のストライキに対しても、政府はまるで利敵団体のように敵対視する態度を貫いている。このような場面は、はるかに攻勢的な労働改悪の予告編に過ぎない。
このような反労働、極右、検察国家の3つの顔は一体となっている。最近、尹錫悦大統領は労働者の集団運送拒否が「核を振りかざす北朝鮮の脅しと同じ」だとし、「政府がすべきなのは犯罪から国民を守ること」だと発言したが、細かい争点で是非を問うレベルをはるかに越え、ここで衝撃的なのは労働者の生存権問題に耳を傾け、賢明に解決すべき最も大きな責任を負う政治指導者が、自国民を「敵国」に比喩したり犯罪者扱いする態度だ。
労働、福祉、ジェンダー、気候、外交、文化などすべての面で巨大なバックラッシュ(反動)が進んでいる。これまでは保守政界の外部から入ってきた政権勢力が権力基盤を整え統治術を身につけるのに時間が必要であり、大統領の支持率が低かったため、その体制の性格が兆候的にしか見えなかった。しかし、これからは違うだろう。反労働右翼検察国家として強固になるのか、それともより包容的な保守政府に変わるのか、選択の分かれ道に近づいている。
このように厳しい時代の状況で、国会第1党である共に民主党の姿は失望させられる。大統領に対する否定的な世論に便乗しようとする政治、ビジョンもリーダーシップもなく、準備されていない暴露を連発する政治では、国民の信頼を得られない。政府与党の過ちに対する市民の批判と抵抗が、無能な野党政治家の生命を延長する栄養剤になると思い込んでいるならば、国民は行動を躊躇し希望を失うことになるだろう。2023年は変わらなければならない。政治改革と代案のための討論を本格的に始めなければならない。