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[朴露子の韓国、内と外] 大統領夫人の「装身具」になったカンボジアの子ども

登録:2022-11-22 20:21 修正:2022-11-23 07:51
苦しい生活を送る遠い国の子どもを、一介の政治的「ショー」の道具にすることが、果たして納税者のお金で外交の現場に行った選出職公務員の配偶者がすべきことなのか。もし、大統領夫人が今回訪問した少年、または少年が手術を受けたヘブロン医療院を以前から後援していたのなら話は違うかもしれないが、そうではない状態で突然少年の家を訪れ、病気の少年とカメラの前でポーズを取ったことは、一人の人間を政治的道具にしたという疑いを免れない。
イラストレーション:キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 韓国政治には「民生ツアー」や「奉仕ショー」という独特な慣習(?)がある。大統領夫妻や長官、国会議員のような偉い方々が伝統市場を訪ねて商人たちと言葉を交わしたり、災害復旧の現場でシャベルを握って労働するポーズを取る。記者たちはこれをカメラで捉え「民生を気遣う」統治者たちの見栄えの良いイメージを作る。おそらくこうした慣習のルーツをたどれば、伝統王朝時代の君主の「巡幸」のような儀式行為に遡るかもしれない。儒教の民本イデオロギーでは、君主や高官が「無告の民」を撫でさすり、その苦楽を直接見る道徳的義務があった。北朝鮮指導者の「現地指導」も、考えてみれば一種の近代化した「巡幸」に近いだろう。

 もちろんこうした政治行為の根底に敷かれている民本イデオロギーは、現代の民主主義や平等原理とは本質的に異なる。例えば、平等主義が徹底的に根付いたノルウェーでは、長官や国会議員がバスや地下鉄に乗り、自分の子供を自分で幼稚園に登下園させ、時には地域住民と一緒にボランティアをするのが極めて自然だ。したがって、そのような姿を写真に撮ってマスコミに公開しようとは誰も考えない。伝統市場で物を買ったり、シャベルを手にする「偉い方」の姿が異例の社会でこそそうした姿が「ニュース」になるのだ。

 キム・ゴンヒ女史が心臓病を患っているやつれたカンボジアの少年を抱いている問題の写真を初めて見た時、私はこれも一種の「国際化された奉仕ショー」だと思った。そうしたショーは、たいてい政治の「不良」を見分けるために動員される。実は貧しい国々に対する韓国の支援はあまりにも不十分だからだ。韓国の国内総所得(GDI)に対する公的開発援助は0.16%で、1%水準のノルウェーやスウェーデンはもちろん、閉鎖的で民族主義的な日本(0.34%)やハンガリー(0.29%)より低い。先進国の中で開発援助に最もケチな国だという事実を隠そうとして、こうしたショーを行うのではないかという考えが、写真を見た瞬間に浮かんだ。しかし、この写真を見れば見るほど、心が重くなった。

 政治家たちの「奉仕ショー」を見る庶民の視線は冷ややかだ。短時間に行われる一回性の行事なので、困っている人たちには実質的に役立たないうえに、普段はシャベルのような道具を握ったこともないような手で、カメラの前で一生懸命奉仕するふりをする姿が偽善的に見えるためだ。しかし、この写真で大統領夫人が握っているのはシャベルではなく子どもだった。苦しい生活を送る遠い国の子どもを、一介の政治的「ショー」の道具にすることが、果たして納税者のお金で外交の現場に行った選出職公務員の配偶者がすべきことなのか。もし、大統領夫人が今回訪問した少年、または少年が手術を受けたヘブロン医療院を以前から後援していたのなら話は違うかもしれないが、そうではない状態で突然少年の家を訪れ、病気の少年とカメラの前でポーズを取ったことは、一人の人間を政治的道具にしたという疑いを免れない。

 もう一つの問題は、多くの国内外の観察者がすでに指摘したように、この「海外奉仕ショー」の過程で大統領夫人が、オランダ系の著名な英米圏俳優オードリー・ヘップバーンのソマリア人の子どもを抱いて撮った有名な写真を「ベンチマーキング」した可能性が高いという事実だ。先天性心臓疾患を患っている児童を計画された「演出」に動員することは、主流政治家の多数の共通点である「偽善」を越えて、完全に嘆かわしい非良心、没常識としか思えないが、これを通じて著名な西洋俳優を「コスプレ」することは没常識な個人の行ったショーの次元を越え、韓国社会の支配層の相当数が共有する意識・欲望であることを垣間見せる一つの「窓」を提供する。

 現職の大統領夫人とは異なり、オードリー・ヘップバーンはユニセフのための活動を数年間続け、医療援助のような分野でそれなりの専門性を積んだ人物だった。ヘップバーンが国際的救援活動に乗り出した動機も、不良政治家が自分たちの政策的不良を隠すために行う奉仕ショーとは次元が違った。第二次世界大戦当時、オランダがナチス・ドイツ軍に占領された時、飢餓に苦しみ栄養失調による疾患を経験したヘップバーンだったからこそ、エチオピア、ソマリア、バングラデシュ、ベトナムの子どもたちが経験する困難に「同病相憐を感じた」と話した時、その真摯さに信頼が湧いた。ところが、ヘップバーンに代表される欧米圏の主流による国際的慈善活動は、その活動を行う個々人の真摯さにかかわらず、世界体制の周辺部が経験している飢餓・貧困や伝染病問題の起源を糊塗する役割を、より厳しく言えば欧米圏主流の「イメージ洗浄」の役割を果たした。問題の核心はそこにある。

 国家が経済開発を主導して付加価値の高い商品を生産するように導いた韓国や、現在それと似かよったモデルを利用して世界最大の実体経済を育てた中国は、欧米圏の慈善をもはや必要としない。そのような慈善でも必要とする最貧国の大部分は、開発を主導するだけの国家の政治力・行政力が不足し、欧米圏をはじめとする海外資本が埋蔵資源の採掘や低賃金中心の低付加価値製造業を掌握している。結局、本人の意図とは関係なく、ヘップバーンのような慈善家たちの「善良な行為」は、欧米圏の資本が周辺国で繰り広げる醜悪な金儲けを隠す役割をする。

 しかし、今日の韓国大統領夫人のヘップバーン「コスプレ」は、韓国とカンボジアの関係が欧米圏と世界周辺部の関係と寸分違わない事実を示し、「名誉白人」の役割を享受しようとする韓国支配層の欲望をそのまま示している。12年前にカンボジア国別投資累計で1位を占めた韓国は、カンボジア現地でも韓国国内でもカンボジア人の安い労働力を搾取しながら利潤を得る一方で、欧米圏の白人に劣らず他人の貧困を利用した超過利潤追求を、慈善イメージで美しく隠そうとしている。キム・ゴンヒ女史のみならず、韓国国内の多くの企業や宗教団体がカンボジアで行う慈善活動を広報に利用し、イメージを洗浄する。病気の子どもを「装身具」のように利用した自己広報行為は、その中でも特に「厚かましさ」の象徴のように目につく。この恥ずかしいチャリティーショーを見守るカンボジア現地の人々の心情はいかばかりか、想像することさえ恐ろしい。

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)オスロ国立大教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1068424.html韓国語原文入力:2022-11-22 19:09
訳J.S

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