原文入力:2010-02-28午後09:52:22(1604字)
キム・ヒョスン論説委員
映画<パッチギ!>は1968年京都の朝鮮高級学校と日本の高等学校生たちの衝突を背景に強制連行差別問題を扱った秀作だ。ある日本人評論家は映画を作った監督は見るまでもなく朝鮮人だろうと断定した。だが彼の主張とは違い、井筒和幸監督をはじめとして主要俳優は全て日本人だ。日本では開封された2005年度に映画賞をさらうなど良い評価を受けたが、国内では特別な照明を受けることはできなかった。
朝鮮学校が突然、日本社会の論難の的に浮上した。鳩山政権は今年から高校教育を無償化することにし国会に法案を提出した。法案が通過されれば私立学校在学生は年間約12万円の進学支援金を受け取る。法案は高校や高等専門学校の他に専修学校,各種学校も条件付きで支援対象に含んでいる。中井洽国家公安委員長兼拉致問題担当長官が主務部署である文部科学省に各種学校に該当する朝鮮学校を支援対象から除外するようブレーキをかけて出た。朝鮮学校を北韓の学校と同一視する発想から出たものだ。文部科学省は法が通過すれば各種学校の支援基準を定めるという方針だが、鳩山由紀夫総理も支援対象から抜く側に重きを置いた発言をした。
日本の同胞対象学校は民団系より総連系学校が圧倒的に多い。理由はとても簡単だ。南側が在日同胞の2世教育に何の関心もなかった時に、北側が大々的に支援したためだ。元々、朝鮮学校には南と北の区分はなかった。日帝が敗亡した直後、同胞たちは奪われたウリマル(母国語)と文字を教えるためにサハリンと日本の全域に学校を建てた。朝鮮学校の存在は同胞社会の自慢の種であり、差別に勝ち抜こうとする橋頭堡でもあった。朝鮮学校は40年代末、占領軍司令部が在日朝鮮人連盟(朝連)が左傾勢力により操縦されているという理由で解体命令を下し朝連傘下の学校も門を閉めさせ存廃の危機に陥った。
サンフランシスコ講和条約で主権を回復した日本政府は、民族教育に対する圧迫を強化した。同胞活動家たちはこの時期の南側の姿勢を‘棄民政策’と規定する。在外国民を捨てたという意味で付けた言葉だ。5・16クーデター勢力のある核心要人は、韓-日交渉を行う時に同胞たちを 「その内に皆日本に帰化する人々」と卑下した。南と違い北は同胞たちの2世教育を支援するとし、総連に巨額のお金を送った。韓国戦争で疲弊した時期の北が財政的援助を与えた点に対しては、北を辛らつに批判する同胞たちでさえ高く評価している。こういう歴史的背景をすっかり無視し、北韓式洗脳教育をさせていると主張するのは穏当な批判でない。
それでは朝鮮学校に子供を通わせる人は総連の熱情的活動家だけであろうか? そうではない。正確な比率は分からないが民団側同胞たちも相当多い。韓国語をきちんと駆使できない佗びしさを骨に凍みるほど体験した同胞たちは2世を朝鮮学校の初級または中等課程に通わせるケースが多い。同胞と日本人が夫婦となった国際結婚家庭では2人の子供を朝鮮学校と日本学校に分けて進学させる事例を聞いたことがある。
昨年夏、歴史的政権交替を実現した民主党政権が朝鮮学校差別を検討するのは姑息なことだ。友愛を自身の政治理念として宣伝してきた鳩山総理が、右翼の専有物だった朝鮮学校いじめに加担しようとしているようで非常に残念だ。歌 ‘臨津江(イムジンガン)’普及の先頭に立ち、<パッチギ!>の音楽監督を務めた加藤和彦は昨年10月自ら命を絶った。彼が朝鮮学校論難を聞けば、地下で号泣すると思われる。
キム・ヒョスン論説委員 hyoskim@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/407353.html 訳J.S