2022北京冬季五輪のショートトラック女子1000メートルでチェ・ミンジョン選手が銀メダルを取った時間帯に、2回目の大統領候補テレビ討論が開かれた。視聴率調査機関によれば、その時間帯にショートトラックを見ていた視聴者の数は、討論会の視聴者数の2倍ほどになったという。有権者の生活と直接的な関係がある政治より、スポーツの方が強い関心を引いたのだ。
スポーツが政治問題に変質する場合もある。北京冬季五輪の開会式に登場した韓服をめぐる議論が代表的だ。大衆の感情に敏感に反応する政界も便乗し、韓中関係対立の要素を増幅させた。開催国に有利にみえるショートトラックの審判判定が出ると、韓国のファンの反応はさらに悪化した。
スポーツでは公正は譲歩できない価値だ。しかし、過度な愛国主義の見方で解釈する場合、「クッポン」(「国」と「ヒロポン(覚せい剤)」の合成語で、国家に対する自負心に陶酔することやそのような人のこと)の危険性がある。韓国選手が判定で不利益をこうむることもあってはならないが、スポーツ競技が国民的な感情の対立に飛び火してもならない。
北京冬季五輪の男子スピードスケート500メートルで銀メダルを取ったチャ・ミンギュ選手が、表彰台を手でそっと拭いてから表彰台に上がると、中国のネチズン(ネットユーザー)たちは判定に対する不満の表れだとして鋭く反応した。敵対感情の悪循環だ。中国選手と一緒に飛び乗ろうとしなかったチャ・ミンギュ選手は、「表彰台に上がる敬虔な心の表現」だと釈明しなければならなかった。
五輪憲章はスポーツを通じた平和を強調するが、現実は違う。国ごとに「クッポン」は存在する。また、すべてを同質化させるグローバル化時代において、個々の国家の独自性と多様性が復活する場所が、五輪のようなメガスポーツの舞台だ。ただし、スポーツの「クッポン」の活力的な要素が極端に流れると、合理性は消える。エリザベス・ノエル=ノイマンが「沈黙の螺旋」理論で、多数意見に押されると少数意見はますます黙るようになると述べたように、民族主義が過剰に表出されると争いしか残らない。
五輪において、国家間の対決は興行の要素であり、本質ではない。地面に仮想の線を引き、ルールを作り、競争を文化的な次元に高めた創造的な行為がスポーツだ。
選手たちは、「最善を尽くした」や「楽しみたい」など過去とは違う姿を見せている。スポーツを商業主義や得票の対象として眺めるメディアや政界が反省しなければならない点だ。もちろん、はるかに遠い希望だが…