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[寄稿]ソウル駅を国際駅に!

登録:2021-10-05 22:52 修正:2021-10-06 08:40
当時のソウル駅はシベリア横断鉄道や満州鉄道など国際線列車の終着駅であったということで、言い替えれば大陸行き列車の始発駅であったという意味だ。ソウル駅の13番ホームに行き、モスクワ行きの切符を一枚とか、パリ行きを一枚、ヘルシンキ行きを一枚などと言えば、その場で欧州行きの切符を買えるなんて、驚くべきことでありワクワクすることではないか。 

キム・ヒョナ|作家・ロードスコラ代表教師
イラストレーション:キム・ウソク//ハンギョレ新聞社

 映画『暗殺』で、大韓民国臨時政府は日本側に顔が露出していない3人を秘密暗殺作戦に投入する。独立軍の狙撃手、アン・オギュン(チョン・ジヒョン扮)、新興武官学校出身の速射砲と呼ばれるチュ・サンオク(チョ・ジヌン扮)、爆弾専門家のファン・ドクサム(チェ・ドンムン扮)だ。彼らは全員汽車に乗りソウルに潜入する。つまり満州や沿海州側から汽車に乗りソウル駅に到着したのだ。それは、当時のソウル駅はシベリア横断鉄道や満州鉄道など国際線列車の終着駅であったということで、言い替えれば大陸行き列車の始発駅であったという意味だ。ソウル駅の13番ホームに行き、モスクワ行きの切符を一枚とか、パリ行きを一枚、ヘルシンキ行きを一枚などと言えば、その場でヨーロッパ行きの切符を買えるなんて、驚くべきことでありワクワクすることではないか。ソウル駅を出発した列車は、北朝鮮の元山(ウォンサン)を過ぎて豆満江(トゥマンガン)を渡り、ウラジオストクに到着するとシベリア横断列車と連結された。そしてノヴォシビルスク、モスクワ、ワルシャワを経由してベルリンに着いた。

 実際、このように列車の切符を買って五輪の開かれたベルリンまで行った人がマラソン選手の孫基禎(ソン・キジョン)だ。彼が残した文章には、停車駅のたびに降りて走る練習をしたという話が出てくる。オランダで開かれる万国平和会議に密使として派遣されたイ・サンソル、イ・ジュン、イ・ウィジョンもこの汽車に乗ってハーグまで行った。安重根(アン・ジュングン)、金九(キム・グ)、呂運亨(ヨ・ウニョン)、朴次貞(パク・チャジョン)、金元鳳(キム・ウォンボン)、李会栄(イ・フェヨン)、朱世竹(チュ・セジュク)、許貞淑(ホ・ジョンスク)、朴憲永(パク・ホニョン)、羅恵錫(ナ・ヘソク)などもこの汽車に乗って、モスクワ、上海、ウランバートルなどを行き来した。彼らだけではない。数多くの独立活動家や多くの商人、多くの平凡な人々がこの汽車に乗り移動して移住した。汽車が連結されるというのは、心の地図が鉄道に沿ってつながるという意味だ。行き止まることなく、よどみなく大陸を横断しヨーロッパまで続く汽車は、朝鮮の人々の想像力を思う存分拡張して刺激し、未来の姿を以前にはなかった形で夢見て設計させたことだろう。

 旅行学校であるオルタナティブ・スクールの「ロードスコラ」の生徒たちと「ソウル駅を国際駅に」というテーマで1年間旅行して学んだことがある。全羅南道の木浦(モクポ)駅から出発してソウル駅まで、ウラジオストクから出発してベルリンまで、すべての駅で歌って踊って世界を周遊した。

 大陸のあちらこちらには朝鮮半島に暮らした人々の話がそっくり残っていた。ウラジオストクやウスリスクなどの沿海州地域には韓人居住地をはじめ、チェ・ジェヒョン、チョ・ミョンヒ、イ・ドンフィ、イ・サンソルの墓・家・記念碑が残っていた。国を奪われた人々はこの地で新聞を発行し、大学を建て、集団居住地を形成し、独立資金を集めて武装闘争を支援し、軍事訓練をして人材を育てた。

 全ヨーロッパとロシアあるいはソ連と中国で起きた革命や戦争、論争と連帯に、当時の朝鮮半島の人々は熱く参加し、介入したり関与した。ロンドン、上海、モスクワ、ソウルが“同時ファッション”時代を生きたと言っても過言ではないだろう。雄大なアムール川が流れるハバロフスクには、キム・アレクサンドラが勤めた建物がある。「最初の朝鮮人社会主義者女性」という修飾語がもたらす響きは、実際にはない。彼女の人生を詳細に覗いて見てこそ、なぜハバロフスク市が数度の再建築や再開発を経ながらも「キム・アレクサンドラが勤めた所」という表示板を残し続けたのかが理解できるはずだ。抑圧と差別を直視した貧しい朝鮮移住労働者の娘が、ウラルと沿海州を行き来して人々を組織し闘い、愛し、未来に向けた架け橋をかける話が「アジアのロシア」ハバロフスク市内のまん中ある。「キム・ユギョン通り」もある。通りに人名を付けるのは、現在ここに暮らす人々の選択だ。長期にわたる討論と検討、合意を経てハバロフスク市民は朝鮮人のキム・ユギョンの名を発音することにより記憶することを決めたのだろう。

 シラカバ、エゾマツ、カサマツ、モミが果てしなく続く広大な原野を2泊3日かけて汽車で走れば、イルクーツクが現れる。シベリアの真ん中にある都市だ。海のような湖のバイカル湖もここで会うことができる。親日附逆作家になる前の李光洙(イ・グァンス)が書いた『有情』には、バイカルとシベリアが登場する。李光洙も若い時期にウラジオストック、チタをはじめ多くのロシアの都市を渡り歩いたので、それら都市が作品の背景になるのはおかしなことではない。

 白石(ペク・ソク)も韓龍雲(ハン・ヨンウン)も、ある時期には北方の都市を渡り歩き、その痕跡が作品の中に浸透している。1922年1月モスクワで開かれた極東民族大会に参加した韓人代表団は、リコリー通り17番地に泊まった。洪範図(ホン・ボムド)、金奎植(キム・ギュシク)、曺奉岩(チョ・ボンアム)、金丹冶(キム・ダンヤ)、張建相(チャン・ゴンサン)など。彼らは各地で汽車に乗り、日本の警察の目を避けるため様々な路線に乗り換えながらモスクワに来た。帝国主義の圧迫から抜け出すための国際会合で、朝鮮の人士は朝鮮の独立のみならず全世界の被圧迫民族の解放を共に企て、遠大なビジョンを共有した。その時期の朝鮮の人々は朝鮮半島の人であると同時に、世界人の心臓を持って生きていたことが分かった。大陸横断列車は、世の中は広く、同じ夢を見る人々があちこちにいて、共助と連帯が共同の理想を実現する道であることを体で感じさせてくれたようだ。

 すべての所に私たちの話が残っていた。分断以前の朝鮮半島は、広い大陸と完全につながっていた。沿海州からシベリア、モンゴル、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、ヨーロッパまで、断絶なく流れて続いてかみ合って関連していた。朝鮮独立のために戦った人々は、世界のすべての抑圧と不正に対し世界の人々と共に抵抗した。朝鮮半島だけを自身の領土とは考えず、朝鮮の人だけを自身の同志と認識することもなかった。大陸横断列車があったがゆえに可能なことだった。しかし、ユーラシア大陸の広い平原・森・草原は、分断と共に私たちの暮らしから削除された。分断は領土だけでなく、想像力の回路まで絶縁させる傷を負わせた。

 ユーラシアが再び列車で連結されるなら、朝鮮半島は陸上シルクロードの寄着地であり、海上シルクロードの出発地としてその地位が変わるだろう。人と物資と思想と未来と夢と理想が、線路で連結される想像は、いつも私をときめかせる。北方に対する想像力を復元する時、私たちの人生の舞台は拡張され、個人と国家の未来ビジョンもまた広大になるだろう。子どもと青少年と青年の心が、より一層勇猛で大胆になるだろう。ソウル駅を国際駅に!

//ハンギョレ新聞社

キム・ヒョナ|作家・ロードスコラ代表教師 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1013965.html韓国語原文入力:2021-10-05 19:00
訳J.S

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