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[寄稿]ビビンバと多文化

登録:2021-08-19 04:09 修正:2021-08-19 09:57
[記憶と未来] 
チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授
2020東京五輪を3日後に控えた先月20日、東京のシンボルである渋谷のスクランブル交差点を防弾少年団(BTS)のアルバムを宣伝する車両が通り過ぎている。日本でもBTSは韓流ブームの中心だ=東京五輪写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 日本から友人がやって来た。韓日大衆文化開放よりも前だから、もう20年以上も前のことだ。韓国は初めてだった。野菜が好きだというので昼食にビビンバを注文した。ビビンバが出されると、本当に美しいと感嘆の声をあげる。私も改めてしげしげと眺めてみると、色とりどりの各種ナムルに炒めた肉と半熟の卵までのっていてきれいではあるが、単なる平凡なビビンバだった。

 友人は、こんなに美しい食べ物をどうやって食べるのかと聞いた。赤いコチュジャンとごま油をかけるのを見せると、注意深く真似した。しばらく鑑賞の時間を与えた後、私はスプーンを手に取って、上にのった卵黄をぎゅっと押しつぶし、よくかきまぜながら、真似するようにと言った。急に変な感じがして向かいの友人を見ると、口をあんぐり開けて驚愕した顔。まるで美しい芸術作品を破壊する野蛮人を見ているかのようだった。ビビンバはそもそもこうして混ぜて食べるものだといくら説明しても、頭をさかんに横に振りながら、自分にはとてもできないと言った。

 しばらく考えていた友人は、外側のナムルから一つずつ箸でつまみ、吟味しつつ食べた。特にナムルが美味しいといって、かなり満足そうな表情だった。このように一つひとつが味の違うものを、どうしてそんなに無残に混ぜて固有の味を捨てられるのかと友人は言った。確かに日本料理は原材料の味を重要視しているので、これが文化の違いというものなのだと私は理解することにした。それでもコチュジャンとごま油でおいしそうに混ざったそのビビンバを友人が味わわずに帰ってしまったことが、私にはとても残念だった。しかし最近の日本の若者たちは韓国料理に慣れていて、大阪のコリアタウンまで訪ねてきてコチュジャンとごま油をたっぷりかけてビビンバを混ぜて食べ、トッポッキまで食べて行くというのだから、世の中はずいぶんと変わった。

 かつて、ビビンバのような韓国の食文化には、「未来の電子回路時代、グローバルな国際化時代に適応するのにふさわしい手法と哲学が内包されている」と称賛した人がいた。「ビデオアート」を創始した世界的アーティスト、ペク・ナムジュン先生だ。自らの芸術世界は「ビビンバ文化」から生まれたとし、自分は御大層な芸術をやっているのではなく、幼い頃に食べていたビビンバのように混ぜこぜにしただけだと語った。様々な材料を混ぜると、ごちゃごちゃに混ざって混乱しているように見えるが、互いに違う味が調和して、また違った味を醸し出すという、創造的な意味が込められているというのだ。

 近ごろの世界的なKポップ、K文化ブームを見ると「ビビンバ文化」の力が感じられる。ついに白凡 金九(キム・グ)先生が夢見ていた文化大国になったかのように鼻が高くはなるものの、内容をよく見ると、その中に果たして「韓国のもの」と主張しうるに足るものがどれだけあるのかについては首をかしげたくなる。韓流音楽を引っ張る「アイドル」というジャンルにしてからが、かつて日本の大衆文化が借用した英語の概念だ。彼らの歌もごちゃごちゃに様々な国の言語が混ざっていて、確実に「韓国のものは良いものだ!」という時の「韓国のもの」ではない。それでも、このように多様で異質な文化要素を混ぜ合わせて何か新しくて強烈な音楽を作り出すのは、どことなく「韓国らしい」と感じられるのだから、これこそまさに「韓国式多文化ビビンバ」ではなかろうか。

 韓国式多文化ビビンバは、単に複数の文化を一カ所に集めただけの米国式多文化サラダボウルではない。様々な材料を混ぜ入れるだけで自然にビビンバになるわけではないからだ。やはりコチュジャンとごま油がなければならない。一杯のビビンバには、朝鮮民族が生きてきた暮らしの歴史がすべて入っている。ピリリと辛いコチュジャンには長い苦難を経て熟成した「涙と恨(ハン)」が込もっているとすれば、香ばしいごま油には、そんな苦難の中にあっても笑いと遊びを失うことなく生きていけるようにしてくれた「乗りと粋と喜び」が染み込んでいる。これを、植民地支配と分断と戦争と離散が染みついたつらい歴史の中で体得した弱きもの、小さきもの、抑圧されしものに対する憐憫の情で混ぜ合わせなければならない。そして外国の侵略と独裁権力に立ち向かってきた脈々と流れる抵抗精神と、屈折した型破りな美学で盛り付けなければならない。そのようにして作った多文化ビビンバこそ、世界の人々が共感する韓流文化だ。

 ここのところ私は「スーパーバンド」という番組を見て、若者たちが混ぜる「多文化ビビンバ音楽」を味わっている。我々の世代が模倣と抵抗との間で葛藤していた外来文化を使って思う存分楽しんでいる姿を見ると、実に痛快で楽しい。この若者たちはグローバルサイバー文明を思う存分享受し、世界中のいかなる音楽であっても恐れることなく融合させ、自分の音楽として作り上げている。彼らの勇気と実験精神に賛辞を贈る。彼らの技量と芸術性があまりにも優れているので、その分野ですでに大家となっている審査委員さえ「私の生まれるのが早すぎたのかも」と言って羨ましがる。同感である。

//ハンギョレ新聞社

チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1008121.html韓国語原文入力:2021-08-18 13:48
訳D.K

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