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[寄稿]韓日関係の歴史の経験と東京五輪

登録:2021-06-16 10:18 修正:2021-06-16 10:49
オ・スチャン|ソウル大学韓国史学科教授
東京五輪開催予定日が約40日後に迫っているが、最近G7サミットで日本が韓日略式会談を一方的に取り消したことで批判が高まっている。これに先立ち、独島を日本の領土と主張したことで対立が深まった状況だった。市民団体「ソウルキョレハナ」のメンバーが8日午前、ソウル鍾路区の日本大使館前で東京五輪の独島の日本領土表記の取消と旭日旗の使用禁止を求めている/聯合ニュース

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会がホームページに掲示した日本地図で独島を隠した事実が明らかになったのに続き、日本の当局者の言動が日々激しさを増している。我々は公憤を国家運営の正道と国益を守る動力とすべきだ。

 時代条件の異なる過去の事例を今日の問題に直接適用することはできないが、歴史の経験の明暗の側面を省察して判断資料にするのは重要だ。1727年、朝鮮人漂流民を連れてきた日本の使節は、東莱(現在の釜山市のエリア)の倭館で3年間帰国を拒否した。海を挟んだ朝鮮と日本が自国の地に漂流した相手の民を救う慣習は、当然で美しい伝統だ。しかし、海流のために朝鮮人の方が遥かに多く漂流し、彼らを連れてきた使節に対する朝鮮のもてなしが手厚いことから問題が始まった。朝鮮政府は、40人以上の人員が55日間滞在することになっていた使節一行に対し、滞在費用はもちろん、盛大な儀礼と宴会を7回開き、全員に絹、麻、綿布、筆、墨などを贈った。また、鏡といった日本の特産品と引き換えに高麗人参、虎皮などを渡した交易も、彼らに莫大な利益をもたらした。したがって朝鮮との外交業務を遂行した対馬は、機会さえあれば使節を派遣した。1年に10回以上訪れる時も多く、3回の使節が同時に滞在する時もあったという(イ・フン『朝鮮後期漂流民と韓日関係』)。

 朝鮮政府は1682年に日本と協約を結び、対馬に朝鮮人が漂流した場合、船が壊れ人が死ななかった場合は別途使節を送らず、往来する他の人づてに彼らを連れてくるようにした。しかし、日本は協約を異なる形で解釈して引き続き多くの使節を派遣し、期限以上滞在するのが通常だった。1727年の問題の使節もやはり協約に反していたが、朝鮮政府はもてなしを拒否できなかった。ただし、彼らに発行した外交文書に、このようなもてなしは前例にならないという文言を入れ、再び同じことが起きないようにした。すると日本の使節は、その文言を削除するまでは帰らないと意地を張った。国王英祖は結局、彼らの要求を受け入れるよう命じた。

 上の事例から振り返ってみる第一の姿は、国家の運営と外交の原則である。日本の使節の要求を3年も引きずりそのまま受け入れたのだから虚しくも見えるが、筆者は朝鮮の朝廷の悩みを理解できる。日本の使節は、そのまま帰れば本人はもとより対馬藩主も幕府の処罰を受けることになるので、決して生きては退くことはできないといって粘った。それは公文書の表現であり、実際は、自国で処刑されても朝鮮で死んでも同じだから行くところまで行こうという態勢だった。朝鮮の朝廷では、日本の使節が自殺したり、加害するのではないかと心配しなければならなかった。朝鮮がこのようなやり方で対応するなら、日本の使節を退去させる命令を履行できなかった東莱府使や訓導を処刑しなければならなかった。しかし、朝鮮は自国の官員をそのように処刑するどころか、外国の使節を自害や脅迫で対応する国ではなかった。その事件から10年が経ち、朝鮮は日本から死者が出た時だけ使節を派遣するという約束を取りつけ、問題を解決した。朝鮮が日本に対して行ったそのような方式が、国家運営の正道であった。今日の我々も同じだ。日本で「敵は皆殺せ、朝鮮人は皆殺しにしろ」などと書かれたプラカードを高く掲げて険悪なスローガンを叫ぶデモ隊が大都市をのさばっても、韓国では日本に対するそのようなデモやスローガンは考えられない。それが我々の常識だ。今日の日本の政権の主張と政策がとんでもなくても、日本社会の世論がどうであろうとも、好きでも嫌いでも日本は我々が助け合いながら共に生きていかなければならない隣人だ。追及すべきことは追及し、要求することは要求しつつも、我々は日本を隣人として接し、市民たちの良識に呼びかけることをやめることはできない。

 第二に、国家間交渉の限界、すなわち他の国の問題を我々がすべて正すことはできないという事実だ。18世紀、日本の使節の自害の脅迫に朝鮮政府が同じ水準で対応することはできなかった。独島に対する日本の主張も同じだ。東京五輪組織委員会は、最初に独島を含めた日本地図を掲げたが、韓国が抗議すると、独島が見えない形の地図に変えた。我々はそのように明確な事実を確認すれば十分だったのではないか。もしも後日、日本が「五輪関連の地図では独島を消したが、拡大すれば分かるように隠しておいた」という苦しい主張を展開しても、日本領土とは違う色でかすかに描いた表示が国際的に日本の領土権を主張する根拠となるだろうか。大韓民国は明確で正当な根拠の上で独島に対するすべての権利を享受している。東京五輪組織委の粗雑な手を一つ一つ点検してむきになる必要があるか疑問だ。

 第三に、不当な負担と被害があってはならないという重要な問題がある。朝鮮時代、日本に寛大に接するためには大きな負担を負わねばならなかった。外国に対してであれ国内に対してであれ、今日我々がそのようにしてはならない。独島に対する日本の強弁は簡単に収まる問題ではない。それに対処する我々は長い目で見て、不必要な力の消耗を避けなければならない。幸い政界では、この問題を国内政争のテーマにしないと皆が同意したようだ。日本に対する政策をめぐって意見が異なることはあるが、討論を越えて対立に進む必要はない。筆者は、独島が見えないように変えた日本の地図を強いて拡大して点検しなければならなかったのかは懐疑的だが、そうして日本の底浅い手を検証して抗議する行動もまた過ちを正そうとする厳正さだと高く評価する。日本が五輪の地図に独島を完全に消去しないならば東京五輪をボイコットすべきだという誠をもった声があちこちであがっており。国際社会に今回の事件の正否と、独島が大韓民国の領土であることを明確に知らせることを怠ってはならない。しかし、五輪ボイコットには韓国社会の犠牲が伴う。きついトレーニングに汗を流しながら長い間五輪を待ってきた選手たちを失望させる必要はない。いや、それよりもはるかに小さな犠牲だとしても、独島に対する我々の権利には一寸の揺らぎもないのに、不当な日本の行為のために我々がそれを甘受する理由はない。

 今回五輪をボイコットしようという見解には十分な根拠がある。そのように決定されれば、筆者は快く承服するだろう。しかし、筆者の現在の意見は次の通りである。防疫と安全さえ保障されるなら、近く開催される東京五輪に大韓民国の若者を送り出し、その成功に貢献させたい。我々は国家運営の正道と国益を一致させることができる。今までそうだったように、広くまっすぐな道を堂々と歩いていくとき、我々は迷うことなく独島を守り、力と無理を押し通す国際関係を先頭で正していけるであろう。

//ハンギョレ新聞社

オ・スチャン|ソウル大学韓国史学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/999475.html韓国語原文入力:2021-06-1602:04
訳C.M

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