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[コラム]金日成回顧録が気づかせてくれたこと

登録:2021-05-13 05:22 修正:2021-05-13 06:38
国家保安法が「古い遺物」になったのは事実だ。もはや誰も保安法を取り上げることも、恐れることもないように見える。しかし、以前のように苛酷な拷問を受け、無実の罪で収監されることはないかもしれないが、金日成回顧録をめぐる議論でも見られたように、保安法はいつでも我々の基本的権利と自由を簡単に制約することはできる。
金日成回顧録『世紀と共に』/聯合ニュース

 北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席の一代記や思想を綴った文章が、コピーにコピーを重ねて、ひそかに出回っていた時代があった。今や大学生も金日成の抗日闘争や主体思想には目を向けない時代だ。ただ、現政権の理念的スタンスを攻撃するための政治的レトリックとして、一部の保守マスコミや団体が「主体思想派」という言葉を使っているだけだ。ところが、先日、金日成の回顧録である『世紀とともに』が韓国内で出版され、波紋が広がっているという記事を読んだ。今のような時期に誰がそのような本を出版したのか、気になった。

 『世紀とともに』は北朝鮮で発行されたものと同じく8巻で構成されている。金日成が生まれた1912年4月から解放直後の1945年10月までの一代記を描いている。かなりの大作であるためか、その影響も少なくない。教保文庫などは「本の購入者が処罰される恐れがあるため」との理由で、本の販売を中止した。ある保守団体は「大韓民国の正統性と自由民主主義の秩序を深刻に損ねる」とし、裁判所に販売禁止仮処分を申し立てた。金日成回顧録を今頃出版したのも意外だが、販売中止と提訴も突拍子のないことだ。だが、保守陣営すべてが回顧録の出版に驚愕しているわけではない。国民の力のハ・テギョン議員はフェイスブックへの書き込みで、「美辞麗句を動員したからといって、偶像化の論理に騙される国民はいない。国民を信じ、表現の自由をより積極的に保障しよう」と呼び掛けた。

 金日成回顧録を出版したのは82歳のキム・スンギュン氏だ。編集者だった1970年、詩人キム・ジハ氏の「五賊」を思想界に掲載し、反共法違反の疑いで逮捕された。いまこの時代に同書を出版した理由を尋ねると、キム氏は「あらゆる事情が厳しく、再び(出版)事業をやろうと思った…抗日運動の中でも左派抗日運動は疎外されており、名誉回復が必要だと考えた」と答えた。同書が金日成を美化するため、事実を歪曲したのではないかという質問には、「それは当然あるだろう。回顧録だから自分に有利に書いたのだろう。しかし、『縮地法』を使ったなどの荒唐無稽な話は出てこない」と述べた。

 私にとって『世紀と共に』が出版された意味は、金日成の抗日闘争を称賛したかどうかよりは、もう少し違うところにある。忘れていた国家保安法の存在を再び思い出させたという意味が大きい。同書の出版は「反国家団体やその構成員または指令を受けた者の活動を称賛・鼓舞・宣伝する行為」を処罰するよう定めた国家保安法第7条に真っ向から反論するものだ。一部の保守マスコミや団体が「国家保安法を事実上無力化するもの」と非難し、さらに「回顧録の出版は国家保安法の廃止を図る現政権の陰謀」だと主張するのもそのためだ。

 国家人権委員会が「特に第2、3、4、7、10条は民主主義の基本前提である罪刑法定主義に反し、良心・言論・出版・集会・結社・学問・芸術の自由など基本的自由と権利に対する侵害の素地がある」として、国家保安法廃止を勧告したのが2004年のことだ。その直後、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が「国家保安法は、独裁時代の古い遺物だ。鞘に納めて博物館に送った方がいいのではないか」と述べ、物議を醸した。この余波は長く続き、保安法を廃止しようという主張をすることが難しくなった。

 国家保安法が「古い遺物」になったのは事実だ。もはや誰も保安法を取り上げることもなく、保安法を恐れていないように見える。民主社会のための弁護士会(民弁)が集計した統計によると、金大中(キム・デジュン)政権時代の5年間、1千人を超えていた拘束者数は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代には161人へと大幅に減少し、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権時代にもそれぞれ114人、100人で、増えなかった。文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足した2018年から2019年までは、4人が拘束されただけだ。しかし、以前のように苛酷な拷問を受け、無実の罪で収監されることはないかもしれないが、金日成回顧録をめぐる議論でも見られたように、保安法はいつでも我々の基本的権利と自由を簡単に制約することはできる。昨年5月には進歩政党の行事で「革命同志歌」を歌ったとの理由で、国家保安法違反の有罪判決を受け、京畿道坡州市で3回選ばれた市議会議員アン・ソヒ氏が失職した。

 北朝鮮政権に対する若年層の嫌悪が大きくなり、過去の恐怖は消えた状況で、あえて再び“消耗的な論争”をする必要があるのかという指摘にも一理ある。しかし、「あってもなくてもあまり変わらない」のであれば、ない方が良い。いつの間にか国家保安法の存在に無感覚になった自分の姿を、金日成回顧録をめぐる議論の中で振り返る。

//ハンギョレ新聞社
パク・チャンス論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/994862.html韓国語原文入力:2021-05-130 2:37
訳H.J

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