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[コラム]「軍志願制は進歩派」なるドグマは警戒すべき

登録:2021-05-05 02:11 修正:2021-05-05 07:13
4月27日、青年正義党のカン・ミンジン代表(左から4人目)が、ソウル汝矣島の国会議事堂内の正義党の党代表室で開かれた「志願制導入および軍人の処遇改善のための懇談会」で発言している=国会写真記者団//ハンギョレ新聞社

 ベトナム戦争の真っ最中だった1969年12月1日、米国の若者たちは大学の寮や友人宅に集まってテレビの生放送を見守っていた。当時は徴兵制をとっていた米国はこの日、ベトナムに行く軍人を初めて「無作為抽選(Draft lottery)」方式で選んだ。19~26歳の米国男性を対象として、徴集の順番を抽選で決めたのだ。誕生日を表す1年366日(2月29日含む)に任意の番号を付与した紙が青色のプラスチックカプセルに入っていた。最初に選ばれたカプセルの番号は258番(9月14日)だった。その日が誕生日のすべての徴兵登録者には抽選番号1番が割り当てられた。入隊する195個の抽選番号の順番が決まった。徴兵年齢(1944年1月1日~1950年12月31日生まれ)に達している生年月日の同じ男性が一度に召集されて軍務についた。

 1946年6月14日生まれのドナルド・トランプ前大統領も徴集の対象だった。兵役に服さなかったトランプは、366ある抽選番号のうち、自分は356番で後ろの方だったので、ベトナム参戦の機会はなかったと説明した。この説明とは異なり、米国では「かかとの骨に異常がある」という偽の診断書でトランプが兵役を免除されたという疑惑も持ち上がっている。

 米国はなぜ、抽選で軍に入隊する人を選んだのだろうか。当時の米国は徴兵制をとっていたが、入隊可能な男性の人口は現役兵の徴兵規模をはるかに上回っていた。1960年代半ば、米国の徴兵基準は「年長者優先」だった。年齢が高いほど兵役免除や忌避の可能性が高くなるので、それらを減らすためだった。しかし、年を取った兵士が多くなるにつれ、第一線の部隊の戦闘力が落ちるとともに、20代初めの若者たちは入隊が遅れるため、兵役の不確実性が高まった。「徴兵は公正でなければならない」という要求が出て、1969年に無作為抽選方式が登場することになったのだ。米国はベトナム戦争開始後の1973年に志願制へと転換した。韓国には馴染みの薄い無作為抽選方式は、米国だけでなく軍務の義務のある人口が徴集人員より多い徴兵制国家が志願制に転換する際に主に採用した方法だ。米国の例からも分かるように兵役制度は国ごとに異なり、一国内でも時代によって違う(米国の兵役制度についてはキム・シンスク著『韓国の兵役制度』を引用した)。

 このところ、徴兵制か志願制かをめぐって議論が巻き起こっている。概ね進歩改革派は志願制への転換に賛成し、保守派は徴兵制の維持を主張する。私は、志願制が韓国の現実に合った進歩的代案なのかどうかは、よく検討する必要があると考える。志願制は兵役の市場化政策だ。進歩改革派は、水、電気、ガス、鉄道、医療、教育などのその他の公共サービスの市場化には強く反対しながら、代表的な公共財である兵役(military service)の市場化には賛成する理由を、もう少し明確に説明すべきだ。

 私は、分断という現実にあって徴兵制は朝鮮半島の平和の安全弁の役割を果たしていると考える。朝鮮半島情勢が極度に悪化すれば、国民の間では「戦争だけはだめだ」というコンセンサスが自然に形成される。このコンセンサスの根には、若い男性は好むと好まざるとにかかわらず軍務につかねばならないという現実がある。1994年夏の第1次北朝鮮核危機において米国は、朝鮮半島で戦争が起きれば、3カ月以内に韓国軍から死傷者が49万人発生するとシミュレーションした。来年は国軍の兵力が50万人だから、有事の際に軍服を着ていたら無事では済まないということだ。ひとたび戦争が起きれば、財閥の息子、長官の息子、国会議員の息子、路地裏の店の主人の息子、非正規労働者の息子の区別なく、全員が死亡したり怪我したりすることになる。みなが無事では済まないという危険が、逆説的に北朝鮮に対する軍事強硬策の発動を抑制するのだ。

 米国のチャールズ・ランゲル民主党下院議員は2006年に「徴兵制で米国の官僚と政治家の子どもが軍隊にいたなら、政府が貧弱な情報に従ってイラクに侵攻することはなかっただろう」と主張している。1960年代のベトナム戦争当時、大学街を中心として、大学生の徴集に抗議する反戦運動に火がついた。それに比べれば、イラク戦争とアフガニスタン戦争の際には、米国内の反戦運動はそれほど目立たなかった。米国内ではこれについて、徴兵制と志願制の違いだと説明したりもする。

 私は、朝鮮半島の平和が定着するまでは、軍務に伴う危険は「我々全員の問題」となるべきだと思う。危険を免れることができないのならば、全員が共に経験した方が共同体の危険性は低くなる。進歩改革派は、志願制を代案として検討するにしても、ドグマに陥る必要はない。

//ハンギョレ新聞社

クォン・ヒョクチョル|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/993912.html韓国語原文入力:2021-05-04 19:14
訳D.K

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