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[コラム]北朝鮮政策における文在寅、バイデン、金正恩の相性

登録:2020-12-04 03:42 修正:2020-12-04 08:12

 韓国と米国の政府が強硬であれ関与であれ、対北朝鮮政策で一致していたのは、1990年代の第1次北朝鮮核危機以降の約30年の歴史の半分ほどの期間だ。その中で、「対北朝鮮関与」の方向で考えが一致した期間は約5年にすぎない。韓米政権の政治的スタンスが食い違うことが多かったうえ、核実験などの北朝鮮の行動が変数として作用したため、南北米がギクシャクした期間がほとんどだった。

 金泳三(キム・ヨンサム)大統領(民主自由党、現「国民の力」)とビル・クリントン大統領(民主党)は1993年初めに同時に就任した。金大統領は就任のあいさつで、「いかなる同盟国も民族に勝るものはない」として対北朝鮮融和基調を明らかにしたものの、同年3月の北朝鮮の核拡散防止条約(NPT)脱退宣言で第1次核危機が起こり、強硬へと転じた。米国が主導する朝米対話に不満を抱いた金大統領は、1994年に妥結した朝米枠組み合意にも不満を示すなど、クリントン政権との摩擦を引き起こした。

 だが、韓米両方とも民主党政権であった金大中(キム・デジュン)政権(当時は新政治国民会議)前半期と2期目のクリントン政権で会談が実現し、対北朝鮮関与政策に合意がなされた。金大統領の太陽政策の影響を受け、クリントン政権は1999年に包括的・段階的非核化・和平策である「ペリープロセス」を打ち出し、対北朝鮮関与政策へと転換した。追い風に乗って2000年6月には初の南北首脳会談が開かれ、同年10月には朝米が共同コミュニケを採択し、クリントン大統領の年内訪朝の方針まで公開された。しかし、国交正常化にまで至るかのように見えた朝米関係は、同年11月に共和党のジョージ・W・ブッシュが大統領に当選したことで、再び凍りついた。北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだブッシュ大統領と対北朝鮮包容論者である金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領の摩擦は避けられなかった。

 李明博(イ・ミョンバク、ハンナラ党)、朴槿恵(パク・クネ、セヌリ党)政権とバラク・オバマ(民主党)政権は、党のスタンスは異なるものの、北朝鮮圧迫で一致していた。北朝鮮が核を放棄するまで制裁を維持するというオバマ政権の「戦略的忍耐」は、北朝鮮崩壊論に基づいた李明博、朴槿恵政権の対北朝鮮封鎖基調を受け入れたものでもある。この時期、北朝鮮も4回の核実験を行ない、韓国と米国内の対話派の立場を狭くした。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領(共に民主党)とドナルド・トランプ大統領(共和党)は、爆発しそうな朝米の緊張を経て、朝米首脳会談を2回、南北米首脳会談も1回行なった。しかし、その後は膠着状態に陥り、北朝鮮の非核化と朝鮮半島の平和についての実質的な進展は止まっている。

 今や来月にはトランプが去り、文在寅-バイデン-金正恩(キム・ジョンウン)時代が開かれる。韓米のみを見れば、金大中-クリントン時代以来、20年ぶりに民主党政権同士の組み合わせとなった。ジョー・バイデン政権がクリントン時代の関与政策へと向かうのか、オバマ時代の戦略的忍耐へと向かうのかは見守らなければならない。ただ、戦略的忍耐は北朝鮮の核能力を育てただけだったとの批判が米国にもあるため、バイデン政権が過去をそのまま繰り返す可能性は低いと見られる。

 注目すべきは、米国の対外政策がトランプの腹づもりひとつで動いた時代は去り、同盟重視という原則と実戦経験で武装した専門家たちのチームワークで動く時代が再び訪れたということだ。それだけに、南北米の3者いずれもが、国際社会が共感しうる合理性の範囲内で行動すべき時となる。北朝鮮は、バイデン政権が対北朝鮮政策を検討し、朝鮮半島のラインナップを構築するまで、緊張を高める行為は自制すべきだ。米国は北朝鮮に対し、トランプ大統領と金正恩国務委員長の2018年のシンガポール合意を尊重し、対話を望むというシグナルを早急に発信すべきだ。韓国は、バイデン政権に朝鮮半島問題を最優先課題とするよう説得しつつ、南北関係においては韓国が主導的役割を果たすことにコンセンサスを得るべきなのは言うまでもない。南北米いずれも、手探りの期間は最小化しつつ、新たに相性を合わせていくべき時だ。

//ハンギョレ新聞社

ファン・ジュンボム|ワシントン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/972673.html韓国語原文入力:2020-12-03 15:54
訳D.K

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