故人の名誉毀損容疑で起訴された全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が11日、ついに光州(クァンジュ)の法廷に立った。「光州虐殺」を犯してから39年、大統領席から退いて31年が立った。これまで認知症や風邪などの理由で何度も出席を避けようとあがいた末に、裁判所の強制拘引の方針を聞き仕方なく光州地裁201号大法廷に立ったのだ。
自身に向けられた世論の関心が単に名誉毀損の有無を質そうというものではないことは、全氏自らよく分かっているだろう。39年前の光州の真実を明らかにする作業はいまだ進行形だ。全氏の裁判の核心の争点であるヘリコプターからの射撃の真相はもちろん、発砲命令者の実体、最近明らかにされ始めた性的暴行・拷問まで、真相を明らかにせねばならないことは多い。それを最もよく知っている人物が全氏であることは言うまでもない。
全氏はヘリコプター掃射を目撃したと証言した故チョ・ビオ神父を、「破廉恥な嘘つき」と回顧録で非難するなど故人の名誉を傷つけた容疑で起訴された。1980年5月の光州抗争時の軍のヘリ掃射の事実は、2017年1月に国立科学捜査研究院が弾痕150カ所余りを確認するなど、国防部の調査と検察の捜査ですでに確認された。それなのに同年4月の回顧録で、全氏が客観的事実さえ無視したままチョ神父を非難したので、名誉毀損の罰を受けるのは当然だ。
全氏が告白せねばならないことは、ヘリ掃射だけでなく1980年5月当時の発砲命令自体だ。第三共和国の空挺団は5月20日夜、上級部隊である第2軍司令部の発砲禁止および実弾統制指示にもかかわらず、発砲に踏み切って市民4人を死なせた。505保安部隊の捜査官は、集団発砲などの決定を保安司令部が主導したという証言を得ている。「新軍部」が報告書や記録物まで組織的に操作した事実もすでに明るみになっている。今後5・18(光州事件)真相究明調査委員会の活動が始まれば真実が明るみになるほかないはずだ。
認知症と言っていた全氏は、若干の難聴のほかは比較的しっかりした状態に見えた。法廷では予想通り弁護士を通じて容疑事実の一切を否認する態度で一貫していた。自身を自ら「シッキムグッ(みそぎ祈祷)の供え物」などと言い、イ・スンジャ夫人は「民主主義の父」という妄言まで繰り返す態度から何も変わっていないのだからあきれた話だ。
1997年12月全氏が恩赦された直後、光州抗争で亡くなった闘争家のユン・サンウォン氏の父親は「あなた方が過去を反省して今後国民統合に協力することを願う」と日記に記した。しかし、全氏はこのような期待に冷や水を浴びせかけ、反省どころかむしろ虐殺の被害者を非難しているほどだ。
全氏の例と最近の妄言の様子は、生半可な容赦や赦免がいかなる結果を招くか我々にリアルな教訓を示している。真の和解と統合は加害者の率直な反省と懺悔なしには不可能だというのは万古の真理だ。今からでも彼が光州市民と国民、そして歴史の前に真実を告白し、懺悔することを期待する。彼に許された時間もいくらも残っていないのだから。