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[世相を読む] 2011, 最後の願い/キム・ヨジン

原文入力:2011/12/22 19:24(1775字)


俳優がなぜ社会問題に口を出すのかと多くの人が尋ねる
きっかけは北韓の子供たちの惨状だった


←キム・ヨジン演技者


  多事多難という言葉で2011年を語り尽くせるだろうか? 社会全般はざわついたし、他のどの時よりその多くの現象と事件が私に影響を及ぼした年だ。また、私自身もびっくり仰天するほど社会的イシューのまん中に立ったりした。 2011年が始まるやいなや、弘益(ホンイク)大清掃労働者の方々のストライキが始まり、そこへおかずを包んで行ったし、人々に会って、そのことがツィッターを通じて伝えられながらであった。 そのようにして色々な人に会いながらでしゃばることが多くなった。 多くの人が尋ねる。 俳優がなぜ社会問題に関心を持って口を出すのかと。 事実、その質問をする人々に笑って問い直したい時が多かった。 「どうしてですか? いけませんか?」と。社会の一員であるから当然に関心を持つのであり、ツイッターという道具があるから私の考えを言いやすくなっただけだ。それでもその質問は一年を通してずっと私に付いて回った。

  社会問題、他人の問題に関心を持つことになった契機は、その最初の始まりはは4年前‘子供の日街頭キャンペーン’だった。ドラマ<イ・サン>で‘貞純王妃’を演じた時であり、アジアで1ドル未満で暮らしている子供たちを助けるための街頭キャンペーンに参加しながらであった。 キャンペーンを終えて多くの事例について聞いた。 その中でも特に北韓の子供たちの惨状. ‘飢餓’でなく‘餓死’の状態に追いやられた人々。説明だけ聞いてもよく理解できなかった。 自分自身がその苦痛を忘れるかと思い断食中だった法輪僧侶を訪ねた。 48日にわたり断食中で、あちこち人道的支援を訴えるために絶えず動いておられた。 驚くべきことだった。 人間が48日も食べなくとも死なないんだな。あのように活動して話もできるんだま。それではどれほど飢えれば人が死ぬのか? そこまで考えが及び、ついでに断食をしてみた。 5日目になって、もうそれ以上は耐えられず重湯を食べながら涙が出た。その一匙のおかゆがとても暖かくておいしくて。 目がくらみ気持ちが悪くなって、全身が苦しかった症状がその一匙ですっきり癒されるのを感じながら。 死ぬ瞬間までその苦痛に置かれている人、子供たちを思って泣いてまた泣いた。


  北韓助け合い、または人道的支援を訴えたり話せばいつも論難の対象になる。 私たちがあたえる米を食べ、私たちを脅かすという話だ。一方では "従北、アカ" という話をはばからずに吐き出し、また他方では北韓政府の気分を害するとして沈黙しなければならないと話す。 その間に子供たちが、平壌(ピョンヤン)の外側の最も弱い人が死んでいく。真っ暗な闇、いかなる光も希望もない状態で。 人の心は、自身がお腹がすいて死ぬようになった時、すぐそばで食べ物を積み上げても与えない人を恨むことになっている。 さっさと恩着せがましくせずに食べ物を与えた人には有り難く思うことになっている。 何が平和の道であり、何が安保のための道なのか‘人’の心を考えなければならない。 飢えて死ぬ人をいたわることこそ最も効果的な‘平和外交’の道であることを信じる。政府が金正日委員長の死に弔意を表わしたのも他の何でもない‘我が国の平和’のための決定だったと考える。


  ぜひ政府で、また、社会各所でこの大きな激変の時期のために一層疎外されて忘れられている北韓の‘飢えている人々’に無条件に、人道的支援が活発に行われるよう願う。数多くの変数と外交問題、国内の異見、現実問題の中に、最も確実で‘経済的’である平和費用という側面、私たちと同じ顔をして同じ言葉を使う人々が世界で最も厳酷な越冬をしている時、無視しなかったという名分、ただ私たちの気持ちに少なくとも人を飢えて死なせてはいけないという一筋の良心を守るためにも彼らにご飯が行き渡ることを。 2011年最後の願いとして祈ってみる。 キム・ヨジン演技者


原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/511417.html 訳J.S