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‘B53’最後の一発 解体…米 スーパー核爆弾時代、歴史の中に

原文入力:2011/10/27 08:37(1690字)
チョ・イルジュン記者

幕を閉じる‘9メガトン級大型核兵器’時代
米-ソ冷戦絶頂期 地下施設打撃用に開発
オバマ 核縮小方針で1年繰り上げ最終解体

←B53原子爆弾(※イメージをクリックすれば大きく見ることができます)

冷戦の象徴だった米国の超強力核爆弾‘B53’が半世紀ぶりに歴史の中に消える。
米国エネルギー部所属の国立核安保局は25日(現地時間)、現在 米国が保有する最後のB53爆弾の解体作業を進行していると明らかにしたと<AP>通信が伝えた。 解体作業は米国の唯一の核兵器組立・解体施設であるテキサス州エモリロ近隣のペンテクス工場で行われており、最後の部品を解体する最終段階だと伝えられた。

B53は米国の在来式核兵器の中で最も強力な爆弾であり、今回の解体作業はバラク・オバマ大統領の核縮小目標により当初予定より1年ほど前倒しされた。 解体工程は最初に爆弾に内蔵された起爆装置から高濃縮ウラニウムと核分裂誘導用爆薬を分離した後、爆弾本体から起爆装置を解体し、残りの非核部品の解体の順に進行される。


核爆弾解体は決してやさしい作業ではない。 その上、B53型は数十年前の古い技術で作られているうえに製造当時の技術者が亡くなったり引退している場合が多いために、安全を確保するために複雑な道具と最新解体方法を考案するのに時間がかかった。


ペンテクス工場のジョン ウルリ総括マネジャーは「私たちは解体作業が非常に挑戦的な課題ということを知っており、最精鋭チームを選抜し安全で効率的に任務を成しとげようと協力している」と明らかにした。トーマス ティアゴスティノ米核安保局長は「最後のB53爆弾の解体は(核縮小の)重大な里程標」と評価した。


米国は1955年に地下施設打撃用(バンカーバスター)核兵器としてB53の開発に着手した。 米-ソ連冷戦が絶頂だった1962年10月‘キューバ核ミサイル危機’直後に初めて実戦配置し、以後改良を繰り返して340ヶ余りを生産した。 当時旧ソ連は米国のあごの下のキューバに核ミサイルを配置しようとしたが、これを感知した米国がソ連と鋭く対立しながら核戦争直前まで進む一触即発の危機を迎えた。


当時ジョン エフ ケネディ米国大統領は、キューバ海上を封じ込める超強手で対抗し、ニキタ フルシチョフ ソ連共産党書記長は米国がキューバを侵攻しないという条件でキューバのミサイル基地を撤去し事態が一段落した。


以後、最新技術が開発され在来式核兵器は弾道ミサイル搭載型に代替された。米国のB53も1980年代中盤から解体され始めたが、50ヶ余りは備蓄物量として退役した1997年まで保存されており、米-ソ戦略核兵器縮小協定により解体手順を踏んだ。


現代の核兵器がミサイル弾頭として搭載され目標物を打撃する方式で正確性は高め破壊力は低めた反面、B53爆弾は‘爆撃機投下’方式であるため正確性が劣るのを破壊力で補完した。 B53爆弾は136㎏の高性能爆薬を爆発させウラニウムの核分裂連鎖反応を触発する‘内爆型’だ。
B53の破壊力は9メガトン(TNT 900万t)級で、1945年日本、広島に落ちた原子爆弾の600倍に及ぶ。爆弾は長さ3.8m、直径1.27mでミニバン自動車大で、重さは爆薬300ポンド(約136㎏)と落下装備400㎏を含め4010㎏だ。爆発すれば半径30km近い地域を熱輻射であっという間に焼き、続いて爆風が半径15km範囲を吹き飛ばす。


9メガトン級のB53原爆が全て解体されることにより、米国の核兵器は1.2メガトン級のB83型が最大核兵器の地位を受け継ぎ、メガトン級スーパー核爆弾の時代も幕を閉じることになった。 チョ・イルジュン記者 iljun@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/america/502601.html 訳J.S