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"日本 自衛隊 諜報部隊を運営した"

原文入力:2010-08-01午後08:56:30(1240字)
過去の部隊指揮官 証言 出る
1956年から米 協力下で活動
北韓・中国・ソ連など情報収集

チョン・ナムグ記者

←平城弘通(89)前陸将補(少将・准将級). 朝日新聞ホームページ

日本の陸上自衛隊が諜報部隊を別に編成し運営していたという過去の部隊指揮官の直接証言が出てきた。自衛隊を公式的には軍隊として認めていない日本政府はこの間、自衛隊内諜報部隊の存在を否認してきた。

平城弘通 前陸将補(89・准将・少将級)は1日<朝日新聞>と行った単独インタビューで「1964年から私が‘陸幕第2部特別勤務班’という特別部隊の班長(中佐級)に任命され、2年間 部隊を指揮した」として「この部隊は米軍と協力して運営される諜報部隊だった」 と明らかにした。この部隊の責任者級幹部が活動内容などを具体的に証言したことは今回が初めてだ。

平城は 「諜報部隊は1954年 駐日米軍司令官が米軍の大規模撤収後、情報収集に危機感を感じ吉田茂総理に手紙を送り、自衛隊による秘密情報工作員養成の必要性を提案したことが契機となって作られた」と説明した。

彼は 「自衛隊は1956年から米軍の指導を受け情報専門家を育成した」として 「東京郊外にある米軍施設 キャンプ ドレークに拠点を置き、62年から本格的な活動に入った」と明らかにした。彼は 「当時、日本側要員は15人で、国内で写真店や小さな商社などを運営しながら中国や旧ソ連、北韓、北ベトナムなどに出入りする日本人に接近し情報を収集した」とし 「将来、外国に住む日本人たちの間に独自の情報部員と連絡網を作ることを目標にしていた」と伝えた。

平城は 「収集した情報は日本とアメリカが相互提供し、防衛庁の防衛計画立案などを助ける一方、米太平洋陸軍と日本陸上自衛隊の極秘情報会合である‘JR会議’等で米国の偵察衛星写真や通信情報把握情報と交換することもした」と話した。しかし彼は「謀略や破壊工作、海外活動はしなかった」と強調した。

彼は今でも諜報部隊が存在するかどうかについては「いつからか なくなったという話を最近聞いたが、確認することはできず分からない」とし、「(この部隊が)邪悪な謀略機関というイメージを払拭させ、国家の正当な情報収集活動をしたということを明確にするために口を開いた」と話した。

一方、平城のこういう証言に対し防衛省は 「防衛省の中には‘第2部特別班’と呼ばれる組織はないという返事に変わりはない」と明らかにした。竹岡勝美前防衛省官房長は「自衛隊が独自の機密情報組織を持つことが認められるはずがない」と<朝日新聞>に話した。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/433067.html 訳J.S