「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。 (…)歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明する」
日本の歴代内閣の中で初めて植民地支配と反省を示した「村山談話」を発表した村山富市元首相の死去後、日本だけでなく韓国や中国からも哀悼と追悼のメッセージが相次いでいる。
中国の習近平国家主席は19日、遺族へのお悔やみの弔電を石破茂首相に送った。習主席は「村山元首相は正義感にとんだ政治家であり、中国人民の古くからの友人でもあった。長年にわたり中日友好事業に力を尽くした」とし、「1995年の『村山談話』の精神を尊重しなければならない」と強調した。李在明(イ・ジェミョン)大統領は村山元首相が101才で死去した17日、フェイスブックへの投稿で「過去の歴史に対する痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ちを表明し、日本のみならず、隣国の人々の心に深く響き、感銘を与えた」として「故人の功績と献身を永く記憶に留めたい」と綴った。
石破茂首相は「『村山談話』に対する評価は歴史がするもの」としたうえで、「御霊安らかならんことをお祈り申し上げます」と述べた。 村山元首相が代表を歴任した社会党を前身とする社民党の党首、福島瑞穂議員は「村山談話は政治的に大変意義のあるものだと思う。戦争反対と平和でなくてはいけないという思いがとても強い人だった」と述べた。
大分県の漁師の家に生まれた村山元首相は、明治大学の前身である明治専門部政治経済科を卒業した後、漁村の民主化運動に参加し、社会運動と政界に足を踏み入れた。社会党代表だった1994年4月、自民党や新党さきがけと連立政権を組み、1996年1月まで第81代首相として在任した。
首相在任当時の1995年8月、日本の第2次大戦敗戦50年を迎え、「戦後50年談話」という歴史的談話を閣議を経て発表した。「村山談話」と呼ばれる同談話で、村山元首相は当時日本社会で想像できなかった明確な植民地支配と侵略戦争の反省を、政府の公式見解として採択した。2015年、安倍晋三元首相は「子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍談話を発表しながらも、歴代内閣の談話は継承すると述べた。安倍元首相はこれ以上謝罪しない日本を標榜しながらも、村山談話そのものを否定することはできなかった。
村山元首相は1995年2月、「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を発足させ、日本軍「慰安婦」被害問題の解決を図った。だが、アジア女性基金が支給した資金は日本政府ではなく民間から出た寄付金であり、日本政府の法的責任を認めたわけではないという点で批判を受けた。
日本経済新聞は19日付で、「隣国との向き合い方は次期政権でも課題となる。(…)村山政権の反省を含めて学ぶ点は多いだろう」とし、「(過去の自民党と社会党、新党さきがけとの連立は)多党制時代に入った(日本の)政治の教訓となる」と指摘した。