「ロシアは見かけほど強くないが、それほど弱くもない」
近代以降の国際外交界で伝わる格言だ。この格言は、ロシアが国際秩序や国際紛争で果たした役割から生まれたものだ。歴史的にロシアは広大な領土や人口、兵力を保有し、周辺諸国から恐れられてきた。一方、ロシアは封建的かつ抑圧的な社会・政治体制、低い生活水準で嫌悪と軽蔑の対象にもなってきた。これはロシアに対する過大評価と過小評価を同時に生み出した。国際秩序と紛争で、ロシアは予想と期待を裏切る劇的な役割を果たしてきた。欧州だけでなく、全世界における圧倒的な覇権国家の浮上を防いだ一方、既存の国際秩序を崩す原因も提供した。
分かるようで分からないような「謎の国、ロシア」
ロシアが国際関係で決定的な影響を及ぼし始めたのは18世紀半ば、英国とフランスが世界の覇権をめぐり北米と欧州などで激突した七年戦争(1756~63年)の時だ。当時、欧州の近代化に追従し、東方の後進国扱いされていたロシアはフランス側に立った。ロシアは英国側に立ったプロイセンを相手に戦争を繰り広げた。ロシアは破竹の勢いでベルリンの入口まで進軍した。ロシアが欧州の地図を変えようとする直前、戦争の主役、エリザヴェータ・ペトロヴナ女帝が死去し、甥のピョートル3世が帝位を継承した。普段西ヨーロッパ、特にドイツを理想としていたピョートル3世は、兵力の撤退を命令し、すべての征服領土をプロイセンに返還して、積極的な親プロイセン政策を展開した。
このときから国際関係の勢力バランスでは「謎の国、ロシア」という言葉が登場した。国際関係で既存の勢力バランスが崩れる危機を打開するか、あるいは新しい秩序が誕生するうえでスケープゴートになったからだ。
欧州と全世界をフランスの覇権下に収めようとしていたナポレオンを劇的に敗退させたのはロシアだった。ユーラシア大陸の覇権をめぐってバルカン半島から朝鮮半島まで英国と対峙し、「グレートゲーム」を繰り広げたのもロシアだった。そのロシアがアジアの新興国日本との日露戦争で敗北した。日露戦争はグレートゲームを終結し、ロシアの没落を予告した。第一次世界大戦でドイツに押され、最初の社会主義革命であるボリシェビキ革命によってソ連が誕生したのもロシアだ。一方、第二次世界大戦では、スターリングラードでドイツ軍に一撃を加え、ナチス・ドイツを敗亡させ、連合国の勝利に決定的な役割を果たしたのもソ連だった。戦後、米国とともに超大国として二極体制を形成したソ連だったが、アフガニスタンという小さな国に侵攻し、没落の道を辿った。冷戦と二極体制を築き、自ら壊したのもロシアだった。
ロシアは弱く見える時、実は強く、強く見える時はむしろ弱かった。最近のウクライナ危機におけるロシアの対応も、このような観点で見なければならない。
ロシアがウクライナ国境地域に兵力を構築し、侵攻の危機を1年間持続させている。ロシアがここまでウクライナの危機を激化させることができたのは、その地域の軍事紛争で西側が無力だったからだ。
ロシアが兵力を構築するウクライナ東部は、第二次世界大戦時にナチス・ドイツが敗北した契機であるスターリングラードの戦闘が起きた地域の近くだ。ユーラシア大陸の心臓部であるここは、伝統的に大陸勢力の庭だった。2008年のロシアのジョージア侵攻戦争や2014年のクリミア半島編入でも見られるように、西側はこの地域でロシアの軍事行動に対して無力だった。米国はウクライナへの直接派兵には早くも否定的な立場を示した。今度ロシアがウクライナ侵攻に踏み切ったとしても、米国など西側が直接的な軍事対応はできないのは明らかだ。
このような状況で、ロシアが思い通り危機と緊張を高めることはできるとしても、侵攻はまた別問題だ。広い国土のウクライナを再びロシアの一部に戻す戦争は、過去のナポレオンやヒトラーのロシア侵攻同様、無謀な計画だ。ウラジーミル・プーチン大統領が政権に就いて以来、ロシアの軍事介入は「低コスト高効率」で進められてきた。ロシアの研究家、ハルン・イルマズ氏は「アルジャジーラ」に寄稿した「ロシアはウクライナを侵攻しない」という文で、ロシアがジョージアやシリア、リビア、クリミア半島の合併で、緻密な地政学的計算をもとに費用対効果に優れた軍事介入を行ってきたと分析した。
ロシアは2008年、ジョージアからの南オセチアとアブハジアの分離独立を支援するため、電撃的に侵攻した。ロシア軍は南オセチアなどからジョージア軍を追い出した。ロシアはさらにジョージアを完全に二分し、トルコへの石油やガスパイプラインの統制権を掌握することもできた。だが、これ以上の軍事行動を控え、欧州の仲裁に応じた。
2015年のシリア内戦でバシャル・アル・アサド政権を支援しようと介入した時も、大規模な地上戦正規兵力は派遣しなかった。戦闘機や特殊戦兵力、傭兵、軍事顧問、艦艇などだけでも、アサド政府軍の内戦勝利に決定的な役割を果たした。ロシアは、米国やイスラエル、トルコなどと交渉し、反軍が対空兵器の提供を受けないようにする一方、政府軍には反軍地域を爆撃できる空軍力を支援した。リビア内戦でもロシアは東部のハリファ・ハフタル将軍勢力に傭兵と兵器だけを支援し、リビアで西側と同等の権利を確保した。
ウクライナ危機は昨年4月から始まった。ロシアが実際に侵攻や戦争を行うつもりだったなら、1年近く危機をもたらし、全世界の警告と反発を招くことはなかっただろう。米国など西側が「ロシアの侵攻が差し迫っている」と連日警告するのは「些細な侵入」(ジョー・バイデン米大統領の見通し)などロシアのいかなる軍事行動も禁止線内に縛り付けておくための戦略だ。
危機を持続させ、勢力化に乗り出す見通し
ロシアは今回のウクライナ危機を通じて、米国から東欧地域での軍事訓練、ミサイルおよび核兵器配置問題などに関する交渉を提案された。これは、ロシアがこれまで主張してきた東欧・旧ソ連地域はロシアの「勢力圏」であるため、自国との協議が必要だという主張がある程度受け入れられたものだ。ロシアはこの危機を簡単には終息させないだろう。危機を持続させながら、旧ソ連地域、さらに東欧地域において自国の影響力を既成事実化する「勢力圏」を構築しようとするだろう。
ロシアは見下されていた時は強力だったし、自分の力を過信していた時は虚弱だった。今回の危機が破局にならないためには、ロシアに対する西欧の軽蔑、ロシアの傲慢がまず排除されなければならない。