1996年9月27日、タリバンはカブールを武力制圧した。カブールは、ソ連の占領に続く内戦の渦中に砲撃で多くの建物とインフラが破壊され、廃墟と化していた。黒いターバンを巻いて「コール」という化粧用の墨で目元を黒く塗ったタリバン隊員の姿は、廃墟となった都心と共に、中世のような奇怪な雰囲気を醸し出していた。
タリバンは真っ先に国連団地に行き、5年前に崩壊した社会主義政権のムハンマド・ナジブラ大統領を探し出し、滅多打ちにした。石や棒などで殴られて死亡したナジブラ大統領と彼の弟の遺体は、中心街の円形交差点の絞首台に首が吊られた姿で公開された。彼らが直ちに設置した宗教警察庁舎には「理性は犬に喰わせろ」という標語が掲げられた。イスラム律法によって音楽放送が禁止され、イスラム預言者ムハンマドが植物の根で歯を磨いたことから、歯磨き粉までタブー視された。医師の40%、公務員の50%、教師の70%が女性だったが、彼女たちは一瞬にして失業者になり、貧民に転落した。
25年後の今年8月15日、タリバンは再びカブールを無血開城した。カブールは人口が10倍近く増えた450万人の現代化した大都市になり、タリバンの一部隊員は伝統的な服装を身に着けていなかった。タリバン指導部が先に訪れたのは、ハミド・カルザイ元大統領だった。タリバン指導部は20年前に自分たちの政権に対する武力闘争を行い、米軍を先導したカルザイ元大統領とひざを突き合わせて、権力委譲および新政府の構成を協議した。タリバンはソーシャルメディアを通じて赦免と和合の意向を示す宣伝扇動を行っている。国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」は1日、カブールの約700人の女性ジャーナリストのうち働いているのは100人ほどだとし、すべての女性ジャーナリストの職場復帰を求めた。
タリバンは本当に変わったのか、それとも表向きだけ変化を装っているのか。一つ確かなのは、今のタリバンは25年前と同じ状況に置かれていないことだ。25年前のタリバンは、国際社会の好奇心を刺激する嫌悪の対象に過ぎなかった。タリバンが政権に就いたことでアフガニスタンに対する国際社会の無関心が本質的に変わったわけではなかった。
今のタリバンは、米国や中国、ロシアなど国際社会の関心の的になっている。アフガニスタンが再びテロ発進基地になることを防ぐためにも、タリバンの協力が欠かせない。米国は、アフタ二スタンから撤退した理由の一つだった中国との対決のためにも、究極的にはタリバンのアフガニスタンが必要だ。一方中国は、米国が去ったアフガニスタンを中心とした中央アジアの勢力空白を、自分たちに有利な勢力バランスに変えなければならない。これを通じてインド洋まで勢力を広げれば、自分たちを封じ込める米国のインド太平洋戦略を無力化する道となる。
タリバンも過去とは違い、国際社会で認められる政権になろうとしている。国際社会に認められなければ、政権維持が不可能であるからだ。彼らには、米国が凍結した90億ドルの国庫が必要であり、この20年間、西側の援助に頼って西側の商品に馴染んできたアフガニスタン住民をイスラム律法だけで律することは難しい。
米財務省はタリバンのカブール制圧後、禁止していたアフガニスタンへの個人送金を2日から再開する措置を取った。アフガニスタン国内総生産の4%に達する海外からの送金は、アフガニスタンの庶民経済にとって死活問題だ。
タリバンが本当に変わったのかという質問は意味がないかもしれない。25年前と今は違っており、変化した状況がタリバンと国際社会に対応の変化を迫ることは明らかだ。