15~19世紀にかけて朝鮮王朝から日本に数十回派遣された外交文化使節団である「朝鮮通信使」の航路が、261年ぶりに完全に再現される。
国家遺産庁の国立海洋遺産研究所は、2018年に研究所で製作し再現した朝鮮通信使船が28日に釜山港を発ち、日本の対馬、壱岐、下関、呉などを経て来月大阪港に到着する旧航路再現事業を展開すると22日に発表した。
研究所側は21日、停泊地の全羅南道木浦(モクポ)で船旅の安全を祈る祭儀を行った。24日に船を釜山に移し、27日から安全祈願祭(梵魚寺)、出港式(龍湖湾埠頭)、海神祭(永嘉台)を行う。釜山を出港した船は、15日間かけて約650キロメートルを航海し、5月11日に大阪に入港する。2日後の5月13日午前に、船が停泊した大阪ATC埠頭で、チェ・ウンチョン国家遺産庁長、ユ・インチョン文化体育観光部長官、大阪市の関係者、現地市民らが見守る中、入港記念式と通信使の行列復元行事を相次いで行う予定だ。
今回の復元船の航路は、朝鮮通信使が日本本州の大阪へ最後に向かった1763~1764年の第11次使行の航路に沿うもの。船の停泊地である木浦から釜山に行く移動距離まで合わせて往復約2千キロメートルとなる。
朝鮮通信使は15世紀の太宗(テジョン)時代から純祖(スンジョ)時代の1811年まで日本に派遣された。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後、朝鮮朝廷が徳川幕府と国交を再開し、1607年から1811年まで計12回にわたり芸術家を含む大規模な通信使を送り、文化交流を行った。通信使は玄海灘を渡り本州と九州・四国の間の瀬戸内海を通って大阪に上陸した後、陸続きで幕府の将軍の根拠地である江戸まで行く経路を踏んだ。ただ、純祖の時代の最後の通信使は、経路を短縮して対馬までを往復した。
航海する船は朝鮮通信使の長である正使が乗った「正使汽船」の形を見本につくられた。長さ34メートル、幅9.3メートル、マストの高さ22メートルで、樹齢80~150年の金剛松900本を材料に使った。72人が乗れる復元船は、2023年に対馬の厳原港への入港で初めて日本まで航海し、昨年には朝鮮通信使の日本本土初の寄着地である下関にも入港して記念行事を行った。今年は大阪だけでなく、初めて航海する瀬戸内海の呉市、福山市、たつの市などでも通信使の歴史文化を紹介する公演と船上博物館観覧の機会を設ける。
研究所側は「大阪で10月まで世界各国の多様な文化と技術に出会える大阪万博が開かれているため、航路再現の意味がいっそう格別だ」として「万博を訪れる世界の観客の注目を引くと期待している」と語った。船は来月16日に大阪を発ち、25日に寄着地の下関で最後の歓送行事を行い、韓国へと帰航する予定だ。