チョ・ナムジュの連作小説『ソヨン洞物語』には、父親の不動産投機をドキュメンタリーにする映画監督アン・ボミの話が出てくる。第14回EBS国際ドキュメンタリー映画祭で韓国の作品としては初めて大賞を受賞した「バブルファミリー」(2017)のマ・ミンジ監督は、小説の中のアン・ボミを思い起こさせる。両親の不動産興亡史を扱ったこのドキュメンタリー映画が、このたび『私の奇妙で平凡な不動産家族』という本に生まれ変わった。
同書は、著者が小学校5年生だった2000年、伝貰(チョンセ・契約時に賃貸人に高額の保証金を預け、月々の家賃は発生しない不動産賃貸方式)で住んでいたソウル松坡区五輪洞(ソンパグ・オリュンドン)のオリンピックマンション(34坪)の電気が料金滞納で止められる場面からはじまる。これより前には同じマンション団地の46坪の持ち家に住み、「中産階級ではなく上流階級に近い」というアイデンティティーを持っていたこの家族は、伝貰マンションからも追い出され、結局は12坪の商店街住宅に転居するに至る。「中産階級だった私たち家族は、なぜ一夜にして転落したのか」。この問いに対する答えを探す過程が本になっている。
結婚後、蔚山(ウルサン)のある大企業で技術職労働者として働いていた父親は、1978年に会社を辞めて上京し、「不動産商売」に飛び込む。土地区画整理事業の対象となった一帯の土地を買い、一戸建てや集合住宅を建てて売るというものだった。空き地はあちこちにあり、仕事を求める人たちが絶えずソウルに集まってきていたので、「家を建てれば建てるだけ売れた」。各種の規制緩和と融資特典、標準住宅設計図などが不動産商売を後押しした。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の「住宅500万戸建設」というキャッチフレーズが支えてくれた。1億をかけて数カ月で家を一棟建てれば、少なくとも2億の収入が保障された。返ってくる金は大きく膨れあがり、持て余すほどだった。
勢いに乗っていた父親の事業が倒産したのも、不動産のせいだった。父親は1995年、鍾路区付岩洞(チョンノグ・プアムドン)に600坪の土地を購入し、高級ヴィラ(4階以下の集合住宅)団地を建設する事業を推し進めた。24億の土地売買価格の半分にあたる12億は融資でまかなった。しかし、一部の住民が建て替えに反対して居座ったうえ、市役所と区役所は土地の傾斜を理由に建築許可を出さなかった。こうして時間が過ぎていく間にIMF危機が発生し、金利が高騰した。1994年に入居した46坪のマンションは捨て値で売り払った。父親は損害を挽回するために、最後に株式市場に手を出したが、それも完全に失敗してしまった。
著者による両親の不動産興亡史の本格的な取材は、大学在学時代にオーラルヒストリー(口述生涯史)インタビューが課題に出されたことがきっかけとなった。両親の若いころの話から不動産業時代、世紀末に無一文になってしまった話までをカメラに収めた著者は、「二人が生きてきた人生の波風は、韓国社会の不動産開発史と緊密につながって」おり、「その裏には人々の投機をあおり、責任を取らない韓国社会があった」ということを確認する。
結局、付岩洞の土地を強制競売で人手に渡した父親は、鍾路一帯のファストフード店やコーヒーショップを転々としながら不動産物件を仲介したり開発情報を交換したりする「不動産ブローカー」として日々を過ごした。母親はうまい具合に企画不動産会社のテレマーケターの職を得て生活費を稼いだ。
本書の後半にはドキュメンタリー「バブルファミリー」を著者が両親と共に見る場面が出てくる。土地と家をめぐるその他の話と若干の反転もある。両親の「土地に対する虚しい希望」を終始一貫して批判的にみつめていた著者が「ある瞬間、両親はもちろん私の欲望すら、より深くのぞきみられるようになった」という結論には、多くの読者が共感することだろう。