一時は韓国でヘルスクラブと呼ばれ、最近は「フィットネスクラブ」「ジム」などと呼ばれるところは、どこも人々でいっぱいだ。誰かは筋肉を増量するため、ある人は肉体美を見せびらかすため、そして多くの人がダイエットのため、様々な運動器具にしがみつく。しかし進化人類学者のハーマン・ポンツァー(Herman Pontzer)は『運動のパラドックス』で、「運動して痩せるという幻想から目を覚ませ」と力説する。タンザニア北部の草原地帯で狩猟採集をするハヅァ族の女性は、水と焚き物を探すため1日平均8キロメートルを、一人で狩りに出る男性は16~24キロメートルを歩く。しかしハヅァ族の人々も、1日1万歩もまともに歩かない「米国、英国、オランダ、日本、ロシアの人々と毎日同じ量のエネルギーを消耗」するだけだった。いくら体をたくさん動かしても(運動をたくさんしても)カロリー消耗量はあまり変わらないということだ。
このような「運動のパラドックス」(Exercise Paradox)は、人間の体が激しい活動でエネルギーを消費しても、他のエネルギー消費を節約して一日の総エネルギー消費量を一定に保つことから始まる。現代人はエネルギー消費量を単純にインプットとアウトプット、すなわちその日食べたものとそれにともなう運動量だけで計算する。「望まない脂肪」が溜まったら「もっと激しく体を動かして燃やせば良い」と考える。だが、人間の体は「単純な燃焼装置のように作動しない」というのが著者の主張だ。人間は「工学技術ではなく進化の産物」であるからだ。ならば、どうすれば痩せることができるだろうか。著者はハヅァ族にとって「睾丸や蛇肉を除き、崇拝したり禁忌とするほどの画期的な食べ物はない」と指摘する。ハヅァ族の食事は「低炭水化物やケトジェニック、ベジタリアンのいずれにも該当せず」、また彼らは「断食や間欠的ファスティング」もしていなかった。単純で満腹感を与える食事、何か一つに依存しない食事が、ハヅァ族が太らず健康な体でいられる秘訣だ。周りにあふれる加工食品に手を付けないだけでも、私たちの体の新陳代謝はより円滑になる。
だからといって著者が「運動無用論」を主張しているわけではない。運動は「私たちを丈夫で健康にし、死神を追い払う良い方法」だ。ただし、運動が「制限された一日のエネルギー予算の中で多くの部分を占める」ことになれば、体の他の機能の優先順位が下がる。休息も同じだ。欧米人たちは7~8時間の睡眠を確保するのに必死だが、ハヅァ族は「太陽の動きによって規則的な日常」を送っている。ハヅァ族の成人は「日中はテントの周りを歩き回ったり狩りをしばらく休み、欧米人と同じ水準の休息時間を確保」する。一方、「休息時にもスクワットのようにコア筋肉と足の筋肉を使う活動的姿勢を」よく取る。多くの時間をソファーで過ごし、筋肉のたるみを嘆いている私たちとは違う。
もちろん私たちが今になって再びハヅァ族のような生活に戻るのは不可能だ。むしろハヅァ族がそう遠くない未来に産業化された世界に編入されることになるだろう。ただし、私たちが守るべきなのは、人間が本来どのような暮らしをしてきたのかという一種の省察だ。文明史的省察である必要はない。体の健康を守る方法を見つけることで十分かもしれない。『運動のパラドックス』は単に運動と人間の体の間の相関関係を明らかにすることに止まらず、人類の活動が生んだ影響、すなわち産業化と現代化の価値が再び人間にどんな方式で返ってきたのかについて考えるきっかけを提供する。