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世界初の海苔養殖地はどこだろうか?

登録:2021-12-02 22:17 修正:2021-12-03 09:39
光陽で最初の養殖…現在113カ国に輸出 
1640年頃、金汝翼先生が発見し養殖 
莞島より170年、日本より60年早い 
金汝翼先生の姓から“キム”(韓国語の海苔)になったの説も
朝鮮時代の金汝翼(キム・ヨイク 1606~1660)の墓標に書かれた「始殖海衣」と「又発海衣」という字句=光陽市提供//ハンギョレ新聞社

 農林畜産食品部が、海苔(韓国語:キム)は農水産品の中で単品目では最多の113カ国に輸出されていると明らかにした。輸出額も6億ドルを超える。新型コロナウイルス拡散の中でも世界の人々の食欲をひきつけた代表的な“Kフード”だ。そのため、海苔を初めて試験栽培した始殖地に対しても関心が集まっている。

 海苔の始まりは、最大産地である全羅南道莞島(ワンド)ではなく、光陽(クァンヤン)だと知られている。朝鮮時代の海隱(ヘウン)金汝翼(キム・ヨイク 1606~1660)の墓標に書かれた「始殖海衣」と「又発海衣」という字句がこれを立証する記録だ。これは「海苔を初めて養殖し、また海苔の養殖法を創案した」という意味だ。この墓標は1714年2月に光陽県監の許鐔(ホシム)が作った。金汝翼は、全羅南道霊厳郡西湖面の夢海(モンヘ)で生まれ、丙子の乱で清と屈辱的な和議を結んだという知らせに嘆き、光陽の太仁島(テインド)に移住し隠遁した。

朝鮮時代1640~60年頃に光陽市太仁洞の海を漂う栗の枝に海草が付いているのを見つけ、海苔を試験的に養殖した金汝翼の肖像=光陽市提供//ハンギョレ新聞社
1948年の全羅南道光陽市太仁島の海苔養殖場の様子=光陽市提供//ハンギョレ新聞社

 金汝翼が海苔を発見したのは偶然だ。彼は1640~60年頃、栗の枝に名前の分からない海草が付いているのを見つけて試植する。そして翌年から木の枝を干潟に挿して養殖を始めたと伝えられる。光陽の人々は海衣(ヘイ)と呼ばれていた海苔がキムと呼ばれるようになったのは、金汝翼の姓から取ったと理解している。朝鮮時代の仁祖(インジョ)王が「水刺床」(王の食膳)に上がった海苔に魅了され、この食べ物の名前を尋ねたが、臣下は誰も知らなかった。仁祖は「光陽の金汝翼が進上した」という話に、彼の姓を取って「キム」と呼ぶようにしたという話も伝えられている。

全羅南道光陽市の海苔始殖地1路57-6 「光陽海苔始殖地」は、旧正月・秋夕当日を除き年中無休で午前10時から午後5時まで開放されている=光陽市提供//ハンギョレ新聞社

 社団法人「海苔始殖地遺跡保存会」が発行した本『光陽海苔始殖地』(2008)には、光陽市太仁洞の海苔養殖が莞島より170年早かったと書かれている。また、日本の元禄時代(1688~1703)より最高60年前に海苔を養殖したとも書かれている。1980年代に光陽製鉄所ができ、光陽太仁島海苔養殖場はなくなった。光陽市文化芸術課のチェ・サンジョン学芸研究士は「年中無休(旧正月・秋夕の当日除く)で開場する海苔始殖地は、1987年に全羅南道記念物第113号に指定された」と話した。

 光陽市が今年、文化財庁の支援を受けて6月から11月まで開いたイベント「生き生き文化財 五感満足光陽海苔旅行」は、新型コロナで疲れた市民を慰労する場だった。海苔の豊作を祈って300年以上受け継がれてきた龍旨大綱引き体験イベントが10月から先月までに20回開かれ、多様な海苔料理を披露する行事も10回行われ、「元祖光陽海苔(キム)海隱音楽会」も10月に4回開かれた。光陽市文化芸術課のユン・イングク主務官は「昨年はこのプログラムに2万人が訪れ、今年は5300人余りが参加した」と話した。

全羅南道光陽市の「光陽海苔始殖地」内の海苔歴史館の内部=光陽市提供//ハンギョレ新聞社
光陽市が今年6~11月に文化財庁の支援を受けて「生き生き文化財 五感満足 光陽海苔旅行」イベントを行った=光陽市提供//ハンギョレ新聞社
チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )、写真/光陽市提供
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1021661.html韓国語原文入力:2021-12-02 08:01
訳J.S

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