先日、俳優チャ・インピョと『炎の美男』というバラエティー番組を作った。番組でチャ・インピョはこう語った。「私たちの人生が演劇だとすれば、たった一人の観客でもそれを真剣に見守ってくれるなら、演劇の主人公は新たな挑戦ができ、絶対に悪い選択をしないだろう。私があなたの初めての観客になる」。誰かを見守り、応援することは、どれほど大切なことか。今年、日本テレビで放送され、韓国ではオンライン動画サービス(OTT)ワッチャで見ることができるドラマ「コントが始まる」は、無名のお笑い芸人たちと彼らを応援する「少ないが大切な」観客の話だ。
一緒に高校を卒業し「マクベス」という無名の大笑いトリオを結成した3人の青年たちがいる。やりたいことをやっていてそれなりに楽しいが、周りの期待には添えない日々だ。いつまでそんなことをやっているんだと家族に言われる度に、10年ぐらいやってみて、それでもだめならやめると答えるのが口癖になっていた。しかし、いつの間にか時間が流れ、ついに10年になった。もう28歳。あと10年ということになれば、今とは比べ物にならないほど大変だろう。もうやめるべきなのか。
中浜は、自分が働いているファミレスに、いつも同じ時間に来てコントの練習に励むマクベスのメンバーたちを見守るのが生きがいだ。誰よりも熱烈な「ファン」だが、初めて公演場を訪れた日、マクベスは解体を宣言してしまう。そういえば、彼女が好きなものは全て彼女から離れていった。好きな雑誌はすぐに廃刊になり、好きな服のブランドはつぶれてしまった。株を買えば何の問題もなかった会社が破産し、恋人はほかの女性との結婚を準備している。もしかして、このトリオの解散も自分のせいなのか?
このドラマは形式が非常に独特だ。各回はマクベスが小劇場で公演するコントから始まる。実は、あまり面白くない、くだらないコントだ。思わず「これだからダメなんだ」と言いたくなるようなものだが、このコントの題材はすべてマクベスのメンバーたちの人生経験から出たもので、各回の主なエピソードと結びつく。10年間の出来事がこのコントと共にパズルのように組み合わされる。
精巧な台本を書いた金子茂樹は、私にとって「ハズレなしの作家」だ。1975年生まれの彼は、主に若者たちの悩みと愛を日本社会の変化に合わせて愉快ながらも真剣に書いてきた。彼の作品には悪役がなく、登場人物は皆チャーミングだ。特に多くの人物たちの話を一つにまとめるストーリーテリングに長けている。
主演の菅田将暉、有村架純、古川琴音は今日本を代表する青春スターだ。しかし、一度も運動で鍛えたことがなさそうなリアリティー溢れる(?)体と、腋毛ボーボーのありのままの姿をさらし、役柄になり切っている。菅田と有村はドラマと同時期に公開された映画『花束みたいな恋をした』でも主演を果たした。映画では素敵な美男美女を演じており、興行成績からしても映画のほうがヒットしたが、私はこのドラマをお勧めしたい。
「コントが始まる」は結局失敗の記録だ。その点でパク・ミンギュの小説『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』を連想させる。信じられないほどの連戦連敗の記録を目の当たりにして、初めて人生の挫折を味わう子どもたち。しかし失敗する人々の姿が、自分とあまり変わらないとある瞬間気づく哀しみをこのドラマでも感じることができる。だから「コントが始まる」には芸人たちのユーモアが溢れているが、結局悲劇であり、いつしか一緒に泣いている自分を発見することになるだろう。
他の国の話を見るまでもなく、もう韓国でもコント番組が一つしか残っていない。これまでお笑い芸人として生きてきた多くの人たちも、選択を迫られている。何人かはユーチューバーとして成功を収めたが、それよりずっと多くの芸人たちは現実的な選択をすることになるだろう。菅田の演じる春斗は言う。「100人の観客で一杯にするのも嬉しいけど、一人の人が100回来てくれるのも、同じくらいかそれ以上に嬉しい」と。これから芸人の皆さんがどんな道を選んでも、応援したい。おかげでたくさん笑えたし、私も一時は(コント番組の)「笑いを求める人たち」のプロデューサーだったが、今は「笑いを求める人たち」の最後のファンクラブ会員であるからだ。
訳H.J