「パラリンピックには必ず行ってくれ。私もあの世から応援するからね。愛しているよ、ムン。至らぬ夫より」
字が曲がっていた。病床闘病中に書いたのが明らかだった。どっと涙があふれた。一文字、一文字どんな気持ちで書いたのか想像がついた。一生彼女の右足になってやると言っていた夫。その約束を果たせず、この世を去る心境はどれほどつらかっただろうか。チョ・ジャンムン選手(55・光州市庁)は夫の望み通りパラリンピックに出場した。
夫(故キム・ジンファンさん)は、ポリオで右足が不自由なチョ・ジャンムンさんが2012年に選手生活を始めた時から心強い味方だった。しかし、3年前の2018年3月、肝臓がんで亡くなった。2017年10月、急な腰痛のため精密検査を受けたが、肝臓がん末期だった。がん細胞が肝臓から脊椎に転移して脊椎4番が崩れ、このためひどい腰痛を引き起こしたのだ。ソウルで治療方法を探したが、これ以上手を打つことができず、手術も意味がないと言われた。2017年12月、キムさんの意思で、和順全南大学病院で手術を受けたが、結局3カ月後、家族を残して旅立った。
手紙は、チョ・ジャンムンさんが心を落ち着かせ、夫の遺品を整理している時に発見した。キムさんが病院で書いたダイアリー形式の手紙には、妻をはじめ周りの人々に残した最期の言葉が書かれていた。キムさんは妻のチョ・ジャンムンさんに残した手紙で「ありがとう、すまない。至らぬ夫を生かそうとしたのに、そばにいてやれず、すまない。東京パラリンピックも一緒に行けなくて、本当に申し訳ない」と書いた。また「至らぬ私に出会って息子と娘を育て、一生懸命生きてくれてありがとう。そんなに悲しまないで。成長した2人の息子がいて、かわいい娘もいるじゃないか。大変なことは長男と相談して」とも書いた。キムさんは親戚らに残した手紙で「妻(チョ・ジャンムン)をよろしく頼む」とお願いしていた。
チョ・ジャンムンさんは、夫を亡くした悲しみを胸に、練習に専念し、2019年オランダ(世界選手権大会)で東京パラリンピックの出場クォーターを獲得した。東京に到着した後、これまで堪えてきた感情を込めて、天国の夫に返事を書いた。
「いつも国内試合の時、一緒に行ってくれたあなたの力で2019年オランダでクォーターを獲得し、あなたが心配し、願っていた東京パラリンピックに来ました…最後まで私のそばにいて右足になってくれるという約束はどこへ行ってしまったのか、神様を恨みたいです。天国では元気でいてください。あなたのおかげで子どもたちと元気に生きていきます。いつも天国から応援してください。あなたにもう一度会いたい。愛している」
チョ・ジャンムン選手は2日、東京の夢の島公園アーチェリー場で行われるリカーブ女子オープン(32強戦)に出場する。2016リオパラリンピックの時は9位を記録した種目だ。
一方、キム・オックム選手(61、光州市庁、W1)は1日に行われたアーチェリー女子個人W1(四肢)準々決勝でリア・コリエル(米国)に125-127で敗れ、準決勝進出は果たせなかった。キム・オックム選手は1960年3月9日生まれで、東京パラリンピックに出場した大韓民国選手の中で最年長だ。30年前に筋肉障害が生じ、リハビリをする過程でアーチェリーに入門した。
アーチェリーW1種目は、脊髄や頚椎に障害のある選手たちが50メートルの距離にある的に、リカーブ(一般アーチェリーの弓)とコンパウンド(滑車のついた弓)を選んで矢を射る種目だ。個人戦では1セットに各3発ずつ、5セットで計15発を放ち、累積点数で勝負をつける。