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[マガジンesc]恋の小径を歩いたら情が移るね

原文入力:2009-11-18午後09:44:08
escウォーキングマップ14.‘千年牧使村’羅州(ナジュ) 邑城跡 内外
全南,羅州邑城 東門から南門と都心路地裏を経て西門跡外 郷校まで5km

イ・ビョンハク記者

←羅州邑城の東門である東漸門. 最近復元されたものだ。

羅州は百余年前まで全羅道の中心都市だった。全州とともに湖南地域の行政・軍事・地理的拠点の役割を果たしてきた。全羅道という名称は全州・羅州に由来する。高麗の初めから朝鮮末までの912年間、300人余りの牧使(首領)が入れ替わり務めた‘千年牧使村’だ。羅州梨も美味いしコムタンもおいしいが、由緒が深いこの都市の路地裏をのぞき込むことも誠に味わい深い。羅州邑城・東門外から始まり、南門と都心路地裏を経て西門跡外の郷校まで歩く。

ソウルに地勢が似ているので‘小京’と呼ばれる

羅州市内を庇うように湖南の母なる川,栄山江が外側を流れ、旧羅州邑城の内側には羅州川が横切っている。羅州川が西から東に流れ、栄山江と合流する下流側に邑城の東門である東漸門①がある。東漸門は甕城が設置された2階建て門楼だ。旧栄山江航路も漢陽から来る陸路も東門に至っていた。高麗末に鄭道傳が‘親明政策’を主張し羅州,会津県(現在の多侍面一帯)に島流しされてきた時もこの門を通った。門楼2階に彼が当時に門楼に登り詠んだという‘諭父老書’(羅州元老らに贈る文)を扁額にして懸けてある。‘東漸門復原記’と扁額の文字は檮杌(トオル)金容沃氏が書いたものだ。

東門外の北側の通りには高さ11mの石柱‘東門外石幢竿’②(宝物49号)がある。羅州が風水説では北の方角なので帆柱の形状に作って立てたものだという。寺刹の前にたてた幢竿のように‘石幢竿’と呼ばれているが<新増東国与地勝覧>や古地図には石檣(石帆柱)と表示されている。元々は城の外に石檣を、城の内側(東門横)に木檣を立てたとあるが木檣はなくなった。‘東門の外側の石檣’は現在補修工事中だ。

←羅州,南山市民公園最高亭の下の南山公園事蹟碑のそばに置かれた竜模様の螭首(碑石の先頭の石)。溝に松葉が積もり二頭の龍が引き立って見える。

羅州川を渡り(竹林橋)川辺の石段を上がり、南山市民公園に上がる。石段に積もる晩秋の落葉が散策に興を添える。南山頂上には最高亭と呼ばれるセメント八角亭がある。かなり以前に最高亭という木製亭子があったが、日帝強制占領期間に神社が立てられた所だ。ここから東門側を見下ろせば、遠く羅州の鎮山である錦城山の山なみが目にとまる。錦城は羅州の旧名だ。羅州市庁学芸研究士ユン・ジヒャン氏は「羅州はソウルの地勢に似ているので、古くから‘小京’(小さなソウル)と呼ばれていた」と話した。‘川下(栄山江以南地域)’の住民たちは羅州を見ることで‘漢陽見物’をしたことにして慰めにしたという。

最高亭から降り立てば羅州市内の錦城館の前にあったものを移築した内三門(別名 望華楼)③建物がある。韓末、日帝に抵抗し殉死した2人の義兵長 金泰元先生,趙正仁先生の記念碑④を見て、羅州中学校を過ぎ南門(南顧門)⑤外路地に入る。住民たちが‘ナムパッケ(南の外側)’と呼ぶ南外洞通りの終端の竹林洞に旧羅州駅舎⑥がある。羅州駅はマネキンの駅員たちが守っている。羅州駅舎は1913年湖南線開通の時に作られたものだ。日帝強制占領期間、3・1運動,6・10万歳運動と共に3大独立運動の一つに挙げられる11・3学生独立運動(1929年)の震源地がここだ。日本人学生が韓国人の女子学生をからかい、韓国男子学生がこれを咎め、光州に通学していた韓国・日本の学生間に戦いが始まった。駅舎横にこれを賛える羅州学生独立運動記念館を建てた。月曜日休館。

羅州駅周辺は日帝強制占領期間に日本人が多く住んでいた所だ。老朽化した日本式住宅があちこちに残っている。救世軍教会をすぎ羅州小学校そばの四つ角の一方に空地がある。旧韓末に断髪令反対示威を背後操縦したという嫌疑で羅州の前郷吏 チョン・ソクジン(当時 海南郡守)らが斬首されたところだ。羅州は断髪令抵抗運動の根拠地に指定され翌年、羅州観察府は廃止され光州に移る。‘千年牧使村’はこの時から衰退の途を歩むことになる。
1907年に開校した羅州小学校の場所は全羅地域12ヶ郡・県の兵馬を指揮管轄した全羅右営⑦があった場所だ。数多くの天主教信者と東学革命軍が捕えられここで処刑された。羅州小学校前の狭苦しい路地の内側には独立活動家 趙正仁先生の古宅がある。再び南門前に出て‘5・18抗争羅州市民軍集結地’標示石を見て、道の向かい側の日帝強制占領時期の警察署⑧側に歩く。再び旧城郭に沿っていく道だ。日帝は城郭を崩し警察署の建物を作った。

←羅州,南内洞の朴炅重(パク・キョンジュン)家屋の母屋裏庭。風水説に従い四角形の大型石臼を置いてある。母屋は官衙として使われることを予想して作られた大型韓屋だ。

錦城橋の前で右側に歩く。羅州川の流れがひと曲がりして、旧桑の木路地に伝統韓屋の朴炅重(パク・キョンジュン)家屋⑨(道文化財史料)がある。1914年に建てられた母屋の部屋と板の間,台所が昔の姿をそっくり大切に守っている。台所では今も薪でオンドル部屋を暖めている。かまどの上には一日も欠かしたことがないという三宝荒神(竃の神様)のために冷水を捧げる竃王中鉢が置かれている。興味深いのは母屋後方の封堂に置かれた巨大な水槽(石臼)だ。家の敷地の気勢がとても強く子孫が少なく独子が続いたため、これを押さえるために作ったものだという。主人のパク・キョンジュン(63)氏が話した。「この家は私の4代前のチェの字,キュの字のご先祖様が(訳注:先祖チェギュ氏の名前を直接口にするのは失礼に当たるとしてする言い方)母屋を新しく建ても取り替え、錦城山の採石場から作って持ってきた石臼だよ。」石臼を持ってきて置いた後、2代続けて独子だった4代前のご先祖様は6人の孫を得たという。裏庭に1884年に作った三部屋のわらぶきの家も本当に美しい。

羅州川南内橋を渡り1号国道に出る。城内で最も真っ直ぐで長かったというチンゴサッ(長い路地),日帝強制占領期間には最大の繁華街だった本町通り,有名な羅州コムタン屋が集まったコムタン路地を左右に見て望華楼⑩を通って錦城館⑪に入ることになる。錦城館は高麗~朝鮮時代に全国主要拠点都市に作り王を象徴する殿牌・闕牌を奉った地方宮廷の一つだ。中庭の片側には歴史的な事実を刻んだ碑・善政碑・記念碑らが一ヶ所に集められている。

望華楼を出てミヒャンコムタン横の‘恋の小径’に入る。恋人が散策するのに相応しいという狭い路地だ。錦城館の裏道はその昔、穀物倉庫があったという私娼街だ。樹齢400年になる堂山ナム(欅)があり住民たちは堂山町(タンサンコリ)とも言う。サメギ餅精米所前の道がサメギギル⑫だ。高麗顯宗が契丹族2次侵入の時(1011年)避難してきて四頭だての馬車に乗って渡ったという四馬橋に由来する道だ。

羅州の肉体労働者から文化芸術家まで、学生から引退した年配者まで老若男女が昼夜を分かたず好んで訪ね杯を傾けるというスミン焼酎房をすぎ、正綏樓(チョンスルー)⑬に行く。正綏樓は羅州官衙に入る正門だ。70~80年代まで各種公演やコンクールが楼上で行われ観客は周辺に立つなり座るなりして鑑賞したという。羅州牧文化園のそばに羅州牧使が居住した牧使内衙(琴鶴軒)⑭がある。内衙は旅行客らに宿舎としても提供されている。内衙の石垣をこじ開けて聳える樹齢500年を越えた榎の姿が絵のようだ。内衙正門の向い側には東軒がある。

崩れた城郭復元過去の情緒なくすかも

内衙の横道を巡って西門道(ソムンギル)に沿って羅州郷校側に行けば、羅州邑城の旧城壁跡⑮を見ることができる。崩れて残った城壁下の部分が数十m区間にわたって残っている。せめてもの痕跡が残っているのは、崩れた城郭内外と城の上にびっしり埋まっていた無許可住宅のおかげだ。羅州市は一部城郭を本来の姿どおりに復元する予定だが、華やかに化粧された城壁より崩れたまま朽ちてゆく今の姿がはるかに美しく価値も情緒もあるように見える。西門の外には羅州郷校(16)がある。郷校下馬碑の前で傘をたたみ散策を終えた。終日続いた雨脚も風も静かになった。東門から郷校まで5km余り。

←地図グラフィック(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)




ウォーキング メッセージ

◎首都圏から西海岸高速道路に乗り、咸平分岐点で光州側に行き、東咸平出入り口から出て、1号国道で羅州に行く。ソウル,龍山駅から羅州駅まで一日7回列車が運行する。龍山駅から羅州駅まで一日4回高速列車も運行する。ソウル 江南ターミナルで羅州ターミナルまで高速バスが一日6回運行する。

◎食べ物はなんと言っても羅州コムタンが有名だ。牛骨を煮込み、羊脂・牛膝肉を一緒に煮だした汁は味が濃厚だ。錦城館前の毎日市場付近に長くコムタンを商ってきた店が集まっている。ナムピョンコムタン(061)334-4682,ノアンコムタン(061)333-2053。1人前7000ウォン。羅州伝統ピビンパ屋もある。チョンオク(061)331-9391。コチュジャンでなく粉トウガラシを使って台所でご飯を混ぜて出すのが特徴。28年間、煉炭焼きの豚肉プルコギをしてきた東新大後門側道路脇にあるソンヒョンプルコギ(1人分7000ウォン),羅州の酒飲みが集まるというサメギキル付近の25年伝統の酒幕スミン焼酎房(唐辛子天ぷら5000ウォン)もある。羅州牧使内衙(061)330-8542.羅州市庁文化観光課(061)330-7892.

羅州=文・写真イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/388474.html 訳J.S